赤ちゃんがおいでになる

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画僧牧宥恵さまから描いていただいたお薬師さま


1995年というと、パワーブック5300csというラップトップ(とはいえ厚みは6センチほどありましたが)を持ってウキウキしていた頃。初めての子どもに恵まれた年です。


「赤ちゃんがおいでになりましたか、おめでとうございました」と、年配の方々から祝福を受けました。

作るとかできちゃったとかではなく「おいでになる」という表現を教えてくれた当時のお婆ちゃまたち。子育てが進むごとに、その言葉はずっと頭の片隅にありました。


出産に関してお経には次のようなくだりがあります。


或有女人臨當産時受於極苦。若能至心稱名禮讃恭敬供養彼如來者。衆苦皆除。所生之子身分具足。形色端正見者歡喜。利根聰明安隱少病無有非人奪其精氣。

(薬師瑠璃光如来本願功徳経 玄奘訳)

ざっくり訳してみると、

女性は出産にあたってはとっても苦しいのですが、よくよく心を込めて仏さまの名を唱え拝むと、苦しみはすべて除かれ、生まれくる子どもは身体は健全で端正、みんなが喜びにつつまれます。

聡明で穏やかで病も少なく、悪いものから生きる力が奪われてしまうことはありません、との内容です。


人と人が向かい合っていると、どうにも解決できないことがでてきます。互いが見つめ合う時期も良いことですが、ずっと一緒にいる人と同じ方を向いていることは大切に思います。幸せを目に見えるカタチとしたのが、仏さまを拝むという行為です。ひとりひとりの「おいでになった」者たちは、それぞれの人格があります。幸せになろうという目標を共有して、生き抜く智恵をお経は伝えます。