熾き火(おきび)

寿という漢字は、いのちの年数を示します。寿を長く重ねていくことは喜びとなり、長命を祝って、喜寿、米寿、白寿と書き表します。事故や病気に遭わずに自然に長生きをした方を、天寿をまっとうされたといいますし、寿命というと生きている年月を表します。長生きはおめでたいことです。

米寿までまっとうした先代住職が、小さい頃を懐かしんで遺した話があります。
戦前の家庭団らんは、囲炉裏か大きな箱火鉢を囲んで、物を焼いたり煮たりしながら、なによりお話を聞くことが最高の楽しみで、子供たちは「お父さん、お話をして。」と言わずに、「お父さん、荒神(こうじん)さまして。」とおねだりしていたそうです。すると「よしよし。」とうなずくお父さんは、囲炉裏のすみに立っている火箸を手にして、みんなの手のひらや顔を暖めている真っ赤な熾(お)きを一つとり、灰の上に立てました。「これは兄ちゃんだぞ、これは、お姉ちゃん。これは、マーちゃんだ。」続いて、中くらいのと、小ちゃな熾きを並べ、語り出しました。

「今日は三人でお使いに行きます。『お塩を一袋買って来てくれ。』三人は元気に出かけました。すると、どうしたのでしょう、マーちゃんが転んでしまいました。」
父はちっちゃな熾きを倒しました。
「おや! マーちゃんが元気に立ち上がったぞ、泣いていない、つよいなあ。」
そう言いながら、その熾きを立てました。

まだまだ父の即興の話は続きます。三人はじっと熾きを見つめて、自分がどうなるのか不安と期待をもって話に聞き入って、自分と熾きが一つになりきってしまいます。そのうちに「これでおしまい。」と言う父の声に、ふと我に返っていたと。

熾き火(おきび)とは、炎を上げている薪が、燃え尽きて真っ赤な火の塊になっている状態のことです。火を囲むと自然に体が寄り添い、お話がはずみ、心の絆をより一層温めてくれます。そういうこともあり、今も火鉢にはなるべく火を入れるようにしています。

お正月には、心苦しい大きな出来事がおきました。明日はどうなるか分からないからこそ、この一日を大切にして、年長であるほどに、家族にとっておめでたい手本となりたいですね。若い者は帰ってこないよっておっしゃる方もおいででしょう。そんな時はお寺の火鉢で、よもやま話でもいたしましょうか。