春のお彼岸法要

旧暦の2月15日となりますので 釈迦涅槃図をおまつりしています


3月17日(日)から 20日(水祝)の4日間 午前10時から

ご先祖のご供養を行います

併せて水子のご供養も行います

どなたでもお参りいただけます

どうぞお参りください

 

私らしく生きることは大切です。ただし、私の心を、「素敵ですね」と受けとめてくれる人がいるからこそです。

世の中は、知るも知らざるも、お互いさまで成り立っています。あたり前に生きていると、うっかりと忘れてしまいがちですね。

春を迎え、ご本尊薬師瑠璃光如来さまのまえで、ゆっくりと拝みましょう。

私らしく、そして、あなたのおかげを忘れない時に、素敵な花が開きます。

愛宕まつり

 

毎年2月24日は愛宕まつりです。旧正月の初縁日にご本尊愛宕勝軍地蔵菩薩をお祀りする行事で、歴代の平戸藩主が施主となり行われてきたおまつりです。

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2月23日(金)10:00~11:00

東漸寺本堂にて護摩修行

14:00 東漸寺を出発 愛宕勝軍地蔵さまを愛宕山頂にお運びします。

19:00〜深夜(非公開)山頂で愛宕さまを祀り、地域の安全を祈り、お籠りをします

24日(土)〜25日(日)早朝から夕方、山頂でご開帳です。

25日(日)16:00~下山

26日(月)東漸寺にて、ご開帳をしております

 

山頂でのご開帳は令和6年2月24日(土曜日)早朝から2月25日(日)午後4時まで。26日(月)は東漸寺本堂にて開帳いたします。

山頂でお祈りした御札や御守りは、26日以降に東漸寺にてお授けします。

山頂にはお手洗い、お水などはありません。また、狭く急な山道ですので、お登りの際には、事故防止に心がけ周囲にご配慮いただくことをお願いいたします。どうかお身体の負担にならないようゆっくりとご参拝いただければと思います。

本年も、皆さまで気持ちよく愛宕さまをお祀りできることを祈念しております。

愛宕まつり

愛宕山山頂にて

令和6年2月24日(土)早朝から。

(25日16時まで山頂にてご開帳。26日は東漸寺本堂にてご開帳しております)

 

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 柚木から俵ヶ浦にいたる、昔、相神浦(あいこのうら)といわれた地域からは、いたるところから愛宕山を望むことができます。


 愛宕勝軍地蔵菩薩、不動明王、毘沙門天の三尊は、戦国時代の武将たちの守り本尊でした。この地をおさめた宗家松浦氏は、愛宕さまを中心にお祀りしたのでしょう。

 

 江戸時代となり、この地を治めた平戸松浦氏は、滅ぼしてしまった宗家のお城があった愛宕山を、東漸寺に命を出して手厚く守ります。旧正月24日の地蔵菩薩の初縁日に、愛宕勝軍地蔵菩薩を山頂でおまつりすることが始まったのです。

 

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 勝軍地蔵は武将が神格化した姿です。明治維新政府からは廃仏棄釈の格好の対象となり、その頃、国の政策として始まった神社神道にくみこまれ、いったんは愛宕神社と名付けられ、国に取り上げられます。江戸時代に松浦氏が造った祠や石灯籠などは徹底的に壊されてしまいました。同様にして全国にあった白馬に跨る武将が錫杖と如意宝珠を持つ御姿のほとんどが、無かったものとされました。愛宕山という名称は残っていても、お宮なのか何なのか、現代人にはよくわからないという理由ですね。

 

 国に摂取された時に、勝軍地蔵の御神体は密かに東漸寺へ避難してありました。明治30年頃に、御神体と山頂は本来は地蔵堂として守ってきたという活動が地元でおこり、山麓にある洪徳寺さま、金照寺さまを始め、地域の方々による証明が長崎県庁へ提出されて、愛宕神社という名称は誤りであったことが認められ、山頂のみが境内地として認められることとなります。残念ながら戦国から江戸時代にかけての姿は、すべて破壊されていましたが、長い年月をかけて現状まで復興している途中です。

 

 

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24日は地蔵菩薩の御縁日、旧正月の初縁日に愛宕山をおまつりすることが「愛宕まつり」です。

 

 旧暦が廃止されて新暦に変わり、2月24日が御縁日と定められます。23日10時から東漸寺にて護摩祈願を行い、午後に愛宕勝軍地蔵さまを山頂へ運び上げ、夜7時から山頂御宝前にてご開帳をし、領内安全五穀豊饒、地域の安全と豊かであることをお祈りし、お堂でお籠りをします。

 昭和の初め頃には、8畳間ほどのお堂に泊まりきれずに、外で火を焚きながら朝がくることをお待ち受けしたと聞きます。24日の朝、皆様の参拝が始まります。

 

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 標高259メートル、30分ほどの急な山道、すれ違いざまに「こんにちは」「おつかれさま」「もう少しですよ」と、あたたかい言葉が交わされます。そして、山頂でまつられている愛宕さまを、それぞれの思いで拝む。住んでいる町の様子を高いところから眺め見る。それが「愛宕まつり」です。

 

 愛宕山の裾野の武辺城を向く方向が「門前」と呼ばれる、いわば正面玄関です。もともと、洪徳寺と飯盛権現が鎮座していました。飯盛権現は東漸寺が別当として祭礼を行っていました。明治維新で廃止されてしまいます。今も付近の山中には古い石垣などが数多く残り、お城へとつながる飛び石や、直線道路が残っています。相浦中里ICが造られるときに発掘された門前遺跡は縄文から江戸時代という長い間の人の営みがみえます。

 

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 近世に相浦の港は炭鉱積み出しで町が開かれて、現在の相浦町となっていきます。その頃から愛宕まつりに合わせて、市(いち)が立ちはじめ賑わい始めました。

 しかし、愛宕山全域は陸軍の境界標柱が多く残っているように、要塞として機能していたようです。大正から昭和と、しだいに戦争が多くなり始めると、昔からのまつりごとが中断されて、人々の入山が規制されました。先々代の住職の昔話で、お地蔵さまを上げようとしていると山の中からいろいろな者(つまり警護の人のことなのでしょう)が出てきて、行く手を止められて困ったと語っていました。第二次世界大戦下では、山全体の木が切り払われ、住職自体もとうとう入山が出来ずに、祭を行うことが出来ませんでした。

 

 戦後すぐに山頂でのおまつりを再開、戦後の復興と共に地域の要望で昭和30年頃から24日から26日までの3日間の祭礼を行い、賑わいがおこるようになりました。植木市として広まり始めた頃です。

 

 時代がさらに移り休日という感覚が浸透し、現在の市は、愛宕まつりとの縁日と無縁となり週末を選んで行われています。

 

 人の営みにより価値観は変わりますが、お祈りの心は変わらないよう、お守りしています。


 晴れは晴れのように、雨は雨のように、曜日もいろいろ、体調が良い時、すぐれない時、登れたり、登れなかったり。それが数百年を守ることです。

 

 水もなければお手洗いもない山です。2月でも汗びっしょりになるくらい、きつい勾配です。どうぞ、準備万端でお越し下さい。

熾き火(おきび)

寿という漢字は、いのちの年数を示します。寿を長く重ねていくことは喜びとなり、長命を祝って、喜寿、米寿、白寿と書き表します。事故や病気に遭わずに自然に長生きをした方を、天寿をまっとうされたといいますし、寿命というと生きている年月を表します。長生きはおめでたいことです。

米寿までまっとうした先代住職が、小さい頃を懐かしんで遺した話があります。
戦前の家庭団らんは、囲炉裏か大きな箱火鉢を囲んで、物を焼いたり煮たりしながら、なによりお話を聞くことが最高の楽しみで、子供たちは「お父さん、お話をして。」と言わずに、「お父さん、荒神(こうじん)さまして。」とおねだりしていたそうです。すると「よしよし。」とうなずくお父さんは、囲炉裏のすみに立っている火箸を手にして、みんなの手のひらや顔を暖めている真っ赤な熾(お)きを一つとり、灰の上に立てました。「これは兄ちゃんだぞ、これは、お姉ちゃん。これは、マーちゃんだ。」続いて、中くらいのと、小ちゃな熾きを並べ、語り出しました。

「今日は三人でお使いに行きます。『お塩を一袋買って来てくれ。』三人は元気に出かけました。すると、どうしたのでしょう、マーちゃんが転んでしまいました。」
父はちっちゃな熾きを倒しました。
「おや! マーちゃんが元気に立ち上がったぞ、泣いていない、つよいなあ。」
そう言いながら、その熾きを立てました。

まだまだ父の即興の話は続きます。三人はじっと熾きを見つめて、自分がどうなるのか不安と期待をもって話に聞き入って、自分と熾きが一つになりきってしまいます。そのうちに「これでおしまい。」と言う父の声に、ふと我に返っていたと。

熾き火(おきび)とは、炎を上げている薪が、燃え尽きて真っ赤な火の塊になっている状態のことです。火を囲むと自然に体が寄り添い、お話がはずみ、心の絆をより一層温めてくれます。そういうこともあり、今も火鉢にはなるべく火を入れるようにしています。

お正月には、心苦しい大きな出来事がおきました。明日はどうなるか分からないからこそ、この一日を大切にして、年長であるほどに、家族にとっておめでたい手本となりたいですね。若い者は帰ってこないよっておっしゃる方もおいででしょう。そんな時はお寺の火鉢で、よもやま話でもいたしましょうか。

秋のお彼岸会

9月20日(水)21日(木)22日(金)23日(土・祝) 午前10時から

24日(日) 午後2時から

5日間にわたりご本尊薬師如来さまの御前にてお勤めをいたします。般若心経などを一緒にお唱えします。

ご先祖の供養をとおして、よりよい暮らしを見つめましょう。檀信徒に関わらず、どうぞお参りください。

 

 ようやく残暑がゆるむころ、気がつけば去年と同じ場所に彼岸花が咲いています。お経では曼珠沙華(まんじゅしゃげ)と呼ばれ、お釈迦さまが教えを説かれたときに天上から降った赤い花と伝わっています。

 毒があるから触れないようにと教えられた方も多いでしょう。よく畦道や土手など崩れてはいけないところに植えられているのは、食べると強い毒があり、動物がこれを避けて土を掘らないように期待されているからです。何となく不吉な印象もあり触りにくいので、いたるところに繁茂して土壌を守っています。

 このように遠目に眺める彼岸花ですが、じつはその球根を水でさらすと毒が抜けて、食用として良質なデンプンが取れ、飢饉の時の大切な栄養となっていたのだそうです。

 人の暮らしと共に生きてきた彼岸花。ちょうどご先祖が私たちのおこないを正し、いつの時も守ってくれているかのようです。 

お盆を迎えます

 

 仏像を調査するとき、ちょうど病院での検査のように、エックス線スキャンで内部のようすを確認することがあります。すると、頭や胸の位置に、舎利(仏さまのご遺骨)が入っていることがあるのです。この舎利について、お大師さまがお読みになった『大智度論』という書物に、次のような問いかけがあります。

 「仏さまの舎利と、経典に説かれる教えとでは、本当に大切なのはどちらですか。」

 ご遺骨は、その人が懸命に生ききった最後に遺るもので、人生で培われた経験がつまっています。私たちは、たんに物体としての舎利を崇めているのではなく、「かたち」あるものを通して亡き人のおこないを敬っているのです。遺されたものごとに込められた思いを汲みとることで、供養の心は伝わり続けます。

 心という字は「うら」とも読みます。心悲しい(うらがなしい)とは、言葉にしようのない悲しみが、心の中にあるということです。また、心から美しいと思うことを、やまと言葉で心麗し(うらぐわし)といいます。このように、どうしようもなく湧きあがってくる、言葉ではいい尽くせない感情を、誰かに伝えるための方法が、美術などの「かたち」に託すことではなかったでしょうか。仏像の裏にある舎利もまた、仏さまが一生をかけて説かれた教えを敬う心を、後世の私たちに伝えています。

 世の中に変わらないものなどありません。それでも、今日の私が、目の前にある「かたち」を大切にすることができるのは、目には見えない誰かの「うら」と通じ合っているからなのです。

 まもなくお盆です。お迎えのしつらえを整えながら、自己の中にご先祖を感じ、私たちはどう生きるかを考える機会としたいです。

大般若祈祷会

 

令和5年7月23日(日)24日(月) 午前10時から

 

大般若経六百巻は、仏教の肝要が説かれており、般若心経の源となるお経です。

中国の僧、玄奘三蔵が苦心してインドから中国に持ち帰り訳しました。このお話は「西遊記」として親しく伝えられています。その尊さが転じ、このお経に接すれば災いから逃れ福を得るといわれます。

東漸寺に伝わる般若十六善神の御軸と大般若経六百巻は、1745年に平戸藩主のもと、地域の皆さまの篤信により奉納されたものです。

法要では、大般若転読会と護摩祈祷の功徳を味わいます。経典をめくる風にあたり、大般若経に触れることによりご利益を得ていただき、護摩修行では願い事を書いた添護摩木を護摩の炎に入れてお祈りします。

 

お参りの皆さまには、大般若御札をお授けします。お札は玄関内側の高い位置に貼って一年のお守りとしてください。

 

法要後は音楽会と講座です。

 

23日は市原隆靖さんをお迎えし、「いっちゃんの楽しい コンサート」を行います。

市原さんはYouTube配信番組「お寺でじぃーん」で対談をしたご縁で、今回は音楽会を行なっていただきます。

 

24日は当山副住職の講座「美術が伝えるお大師さまの教え」を行います。

1300年の時を超えてあり続ける、仏像、仏画などから、お大師さまが私たちに何を伝えようとしていたかを探るお話です。

 

両日ともに楽しいお時間となりますので、どうぞお参りください。

 

市原隆靖さん
長崎県長崎市出身。長崎大学大学院(教育学)、慶應義塾大学大学院(政策・メディア)修了。
司会者として、コンサートMCやテレビ番組の出演ほか番組企画・編集なども行っている。
音楽家として、オーボエ演奏や歌でのコンサート活動(作詞作曲によるCMソング等も)。
その他、講師として全国で講演会などもおこなっている。
・長崎大学教育学部(小学校教員養成課程)卒業
・長崎大学大学院(教育学)修了
・慶應義塾大学大学院(政策・メディア)修了
・音楽活動(オーボエ、歌、作詞作曲)
・司会活動(テレビ番組、コンサート司会など)
・企画編集活動(プロデュース、番組編集など)
公式website www.1chan.com
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