秋のお彼岸法要

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秋のお彼岸法要

令和2年9月19日(土)から22日(火)
午前10時から30分間ほど、お勤めを行っております。

本堂は開放しておきます。ご体調が良く、お経の時間においでになりたい方は、ご自由にお参りください。

*ご法礼受付は対面で行いません。お焼香台に各自お包みいただければ幸いです。

 

 秋のお彼岸は秋分の日を中日として前後三日間、計一週間にわたって行う修養期間です。いのちあるのは「ほとけさまのおかげ」であることに感謝の心を捧げます。

 生死の此岸(この世)から涅槃の彼岸(悟りの世界)にいたることを「到彼岸」といい、六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)という心の持ち方を目指します。具体的に六種類の供養(浄水・塗香・花・焼香・飯食・灯明)を実践することです。

 

布施 惜しまず与える

   ◎浄水は布施、万物をうるおす水は、

   仏の慈しみの徳。

 

持戒 十善戒を守る

   ◎塗香は持戒、清い手、身体で、

   仏のきまりを守ります。

 

忍辱 耐え忍ぶ

  ◎花は忍辱、花を観ると和み、

   腹立つ心は消えます。

 

精進 正しい努力をする

  ◎焼香は精進、真直ぐ立ち上る香のように

   生きたいです。

 

禅定 精神を統一する 

  ◎飯食は禅定、おなかいっぱいで、

   心も満たされます。

 

智慧 物事を正しくみる

  ◎灯明は智慧、智慧の光明で、

   世の中を照らします。 

 

 

 お彼岸は、春はぼたもちを、秋はおはぎをお供えし頂くという習慣があります。収穫したばかりの夏小豆は粒餡にして、粒の姿が萩の花のようでおはぎと呼び、冬を越し硬くなった小豆はこし餡にして、牡丹の花のように丸く作るのがぼたもちだという説があります。

 小豆は古代からの食べ物です。甘いものは貴重で、人が集まる時に振る舞うことは、最高のおもてなしです。

 

 日が昇る東は生きるものを救う薬師如来、日が沈む西は極楽浄土を守る阿弥陀如来です。秋分のおひさまが、真東から真西に結ばれる様子に、生きる私とご先祖さまが結ばれることを重ねます。

 

 自然と調和し、先祖を敬い、しのぶ日、それがお彼岸の心となりました。

 お寺では、お経をとなえ、仏の教えを説き、ご先祖のご供養と、生き方を考えるひとときとします。

菩提行願不退転

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智積院第62世化主 芙蓉良順猊下 御染筆

さとりへの修行も願いも けっして退くことはありません

仏の心を持つことができたならば そうそう悪い方へ向かうことはありません

 

三種生は、エニシダ アレカヤシ 菊

供養について

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 供養という言葉の本来の意味は「尊敬」です。仏さまを尊敬するから供養すると表現します。先祖や亡き方へ敬意を示すことも供養をしていると言い表します。生きるもの同士も敬い合うので供養をしているのですが、これは尊敬すると言いますね。日本では先祖供養という言葉の印象があまりにも強かったからでしょう。

 

 私たちは、両親を始め先祖に対する尊敬心をもって生活をしています。縁ある人々のおかげさまに気づき、真心から感謝することが先祖への供養になります。自分の身上に病気や怪我など、不幸と思うことがあると、これは先祖のたたりだとか、先祖が供養を欲しがっているとか、やたら先祖に、その原因を作り上げる人がいます。先祖供養は、させられたり、してやったりするものではありません。自分がしているのです。いや、させてもらっていると受け止めるべきでしょう。

 

 自分の命の根源に正しく供養できる人は、今を生きていることの喜びと、今後の幸せを十分に感じる事ができます。それが功徳といわれる仏さまからのお恵みです。

 

 供養の基本は、仏(ほとけさま)法(仏の教え)僧(修行をし勉学に励み施設を守る人々)の三宝を大切にすることから始まりました。聖徳太子は十七条の憲法で「篤く三宝を敬え」と記し、東大寺を造った聖武天皇は「朕は三宝の奴なり」といわれました。

 

 では供養するとは、具体的にどのような行為なのでしょうか。それは、ほとけさまに対して、もろもろの供物を真心から捧げることです。供物は、浄水、塗香、生花、焼香、飯食、灯明の六種の供養が基本です。衣服を施し供物を供える利供養、寺院の装飾や仏具を奉納する敬供養、読経・掃除・作業などの修行をする行供養の三種もあります。こうした「お供え」の心を根底にして、私たちはお年忌などの追善供養、卒塔婆供養、施餓鬼供養、開眼供養などを行っています。

 

 困ったこと、苦しいこと、悲しいことがある時は素直に仏さまに、すがって、これらを取り除いていただきましょう。これを祈願と言います。祈願の方法に護摩祈祷があります。これも、火の中へ五穀などの供物を投じ、仏さまに供養し、お祈りをしている供養法です。

夏の行事が終わりました

 施餓鬼会に衣を着せられて、拝むようになって五十年ほど経ちます。高校生からはお盆経にお参りをさせて頂くようになりました。お寺に住むのであれば、夏の供養をして、お寺へ恩を返さなければならないと父に言われ、右も左もわからない私を、温かく迎えていただいたお檀家のみなさま。世代が代わり、今はまだ学生の子弟も同じようにお世話になり、夏を迎えていました。

 

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施餓鬼会は9時30分から15時まで供養を続けました。

 

 毎年変わらない夏でしたが、本年は感染症対策で諸行事を大きく変更せざるを得ず、大変心苦しいお盆を迎えました。


本堂での行事も、時間帯によっては密集することもあり、ご心配をおかけしたと思います。たいへん申し訳ありませんでした。おかげさまで皆さまのご協力を頂き無事に終わることができました。誠に有難うございました。

 

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お盆経は本堂にて37回にわたりつとめましたので、混み合うことなくご供養ができました。

 

 お盆の供養でお寄せいただきましたお布施は、将来の瓦替等お堂修理基礎金として、記帳の上全額を入金いたしました。 今の時代の供養の力を皆さまの子孫にお届けするように、今後も寺院運営につとめます。 誠に有難うございました。

 

 今後も大きな行事ができない分、お命日やお祈願、将来の葬儀や供養、墓所のあり方など、家庭ですべきことを考える機会かと思います。お気軽にご相談ください。

お盆をお迎えします

 令和の時代が華やかに始まった一年前に、疫病に悩む時代になるとは、夢にも思いませんでした。

 令和は天平二(730)年に太宰府で行われた梅花の宴を詠んだ歌に拠るものです。それから数年後、疫病が九州で大流行をします。多くの農民が亡くなり飢饉が起きます。そのような時でしたが、外国との関係が悪化して、天皇は使節団を朝鮮半島へ送ります。団長である阿倍継麻呂が帰国途中に対馬で病死、生き残った者が都へ戻ると感染が全国に広がります。政府は税金の免除、公的資金の貸付、お米の配給などをおこないましたが、三年以上に渡る蔓延で総人口の三割が亡くなり、国家は停止状態になったと伝えられています。水を飲んではいけないとか、酒や生魚はいけないなど、根拠のない対処法や噂話に国民は翻弄されたそうです。

 疫病が落ち着いた頃には大地震が起こり、荒廃した国家を建て直すために、「金光明最勝王経」というお経典に基づき全国に国分寺を造り、奈良の大仏が建立されます。 

 苦しい歴史を見れば疫病と天災の繰り返しですが、どんな困難な時でもくぐり抜き、生き続けてきた人々が今を生きる我々の先祖です。華やかなりし時は、例えば大仏建立の開眼法要には五色の幡が舞い、インドから高僧を迎え、千人を越える僧侶が経を読み、舞台では日本・中国・朝鮮の楽舞が披露され、世界に誇れる盛大な催しを行った、それもまた先祖の姿です。

 

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 東漸寺の本堂正面には、命が続いていることに感謝をし、疫病消除・延命長寿の願いを書いた五色の幡を掲げています。はためきに導かれ、神仏に手を合わせていただき、心が通じ合う世の中となることを願っています。

 

 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、  

 安穏であれ、安楽であれ。

               ブッダの言葉

 

 コロナウイルスと対しつつ共に生きるには、私たちが「慈しみ」の心を持つことが必要です。心が偏ることで、お互いが生きにくさを感じることがないように、心がけていきたいです。

 

 ご先祖がお帰りなるお盆をお迎えします。遠方の方はご帰省できなかったり、お寺としても皆さまとの法要や盆経を行うことができず辛い夏となりますが、良いことを見つめて、より善い心を保ってまいりましょう。

 

お盆の行事について

施餓鬼会 

 8月8日(土曜日)

  午前9時30分から10時まで

 初盆家のみなさまはお集まりください。

 

 午前11時から午後3時まで

 初盆以外の御檀家のみなさまは、随時参拝ください。

 

 本年は新型コロナウイルス感染拡大防止のために、一同に集まっての法要は行うことができません。 早朝から住職がご先祖の供養を施した後に、みなさまにお出でいただき、なるべく集まらずにお帰りいただくこととします。施餓鬼壇で水の子をお供えし、卒塔婆をお持ち帰りください。混雑緩和にご協力ください。

 

 限りない物欲(ぶつよく)を、仏教では餓鬼(がき)といいます。お釈迦さまは、欲を離れ心を洗う手だてとして、「食欲」をたとえとします。自分が頂く食物をほんの少し自然に返す作法の修行を行いました。「水の子」は、季節のお野菜を小さくきざみ、洗米と茶葉を混ぜたお供え物です。施餓鬼壇で「水の子」を供え、ご先祖さま、有縁無縁すべての精霊への供養とします。

  

施餓鬼会 卒塔婆供養について

 施餓鬼会では卒塔婆供養を厳修いたします。卒塔婆とはお釈迦さまのご遺骨の上に建てられた塔に由来するもので、供養の証として大切なものです。お盆の間、お位牌とともに精霊棚でおまつりをします。 祖父母、両親など身近なご先祖さまはお戒名で、他は各家先祖代々として、ご供養されるとよいでしょう。 お卒塔婆は、十五日に精霊流しで流します。ご遠方の方はお寺で供養し流します。

 

 

 

お盆のお参り

 

  新型コロナウイルス感染拡大の中、一軒づつお盆を巡り、みなさまの生活圏内に入ることの安全が難しいと判断をし、初盆家以外は盆経をお寺で行います。

  御檀家以外の方で、郷里へ帰れないなど、拝むことが難しい方は宗派を問わずにお参りください。

 

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 寺院はお檀家さまや縁ある方々のもので、住職は仮にそこに住みながら、ご先祖を誇り高くまつり、皆さまが楽しく集まれることを基本としてお寺づくりを行ってきました。今年は愛知県から高僧をお招きしてのお説教や、市原隆靖さん(いっちゃん)のライブ、落語会、高野山京都への団体参拝旅行なども計画しておりましたが、すべて中止いたしました。

 お葬儀も通夜を17時から身内親族のみでのお勤め、18時以降から一般の皆さまの随時参りを推奨し安全に努め、帰省できなかった方へライブ配信ということも行っています。

 お寺行事も自粛して、お祈りだけは行っていますが、参拝の皆さまがいらっしゃらなければ、意義を見出すことが難しいですし、お寺離れが加速するのかなと危惧しています。

 未だ収束する見通しはなく、お参りができにくい状況が続くことと思います。お寺は率先して環境を良くして、みなさま個々では変わらずお参りをいただきますよう、出来ることを行ってまいりますので、どうぞよろしくお願い致します。

赤ちゃんがおいでになる

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画僧牧宥恵さまから描いていただいたお薬師さま


1995年というと、パワーブック5300csというラップトップ(とはいえ厚みは6センチほどありましたが)を持ってウキウキしていた頃。初めての子どもに恵まれた年です。


「赤ちゃんがおいでになりましたか、おめでとうございました」と、年配の方々から祝福を受けました。

作るとかできちゃったとかではなく「おいでになる」という表現を教えてくれた当時のお婆ちゃまたち。子育てが進むごとに、その言葉はずっと頭の片隅にありました。


出産に関してお経には次のようなくだりがあります。


或有女人臨當産時受於極苦。若能至心稱名禮讃恭敬供養彼如來者。衆苦皆除。所生之子身分具足。形色端正見者歡喜。利根聰明安隱少病無有非人奪其精氣。

(薬師瑠璃光如来本願功徳経 玄奘訳)

ざっくり訳してみると、

女性は出産にあたってはとっても苦しいのですが、よくよく心を込めて仏さまの名を唱え拝むと、苦しみはすべて除かれ、生まれくる子どもは身体は健全で端正、みんなが喜びにつつまれます。

聡明で穏やかで病も少なく、悪いものから生きる力が奪われてしまうことはありません、との内容です。


人と人が向かい合っていると、どうにも解決できないことがでてきます。互いが見つめ合う時期も良いことですが、ずっと一緒にいる人と同じ方を向いていることは大切に思います。幸せを目に見えるカタチとしたのが、仏さまを拝むという行為です。ひとりひとりの「おいでになった」者たちは、それぞれの人格があります。幸せになろうという目標を共有して、生き抜く智恵をお経は伝えます。