令和の時代が華やかに始まった一年前に、疫病に悩む時代になるとは、夢にも思いませんでした。
令和は天平二(730)年に太宰府で行われた梅花の宴を詠んだ歌に拠るものです。それから数年後、疫病が九州で大流行をします。多くの農民が亡くなり飢饉が起きます。そのような時でしたが、外国との関係が悪化して、天皇は使節団を朝鮮半島へ送ります。団長である阿倍継麻呂が帰国途中に対馬で病死、生き残った者が都へ戻ると感染が全国に広がります。政府は税金の免除、公的資金の貸付、お米の配給などをおこないましたが、三年以上に渡る蔓延で総人口の三割が亡くなり、国家は停止状態になったと伝えられています。水を飲んではいけないとか、酒や生魚はいけないなど、根拠のない対処法や噂話に国民は翻弄されたそうです。
疫病が落ち着いた頃には大地震が起こり、荒廃した国家を建て直すために、「金光明最勝王経」というお経典に基づき全国に国分寺を造り、奈良の大仏が建立されます。
苦しい歴史を見れば疫病と天災の繰り返しですが、どんな困難な時でもくぐり抜き、生き続けてきた人々が今を生きる我々の先祖です。華やかなりし時は、例えば大仏建立の開眼法要には五色の幡が舞い、インドから高僧を迎え、千人を越える僧侶が経を読み、舞台では日本・中国・朝鮮の楽舞が披露され、世界に誇れる盛大な催しを行った、それもまた先祖の姿です。
東漸寺の本堂正面には、命が続いていることに感謝をし、疫病消除・延命長寿の願いを書いた五色の幡を掲げています。はためきに導かれ、神仏に手を合わせていただき、心が通じ合う世の中となることを願っています。
一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、
安穏であれ、安楽であれ。
ブッダの言葉
コロナウイルスと対しつつ共に生きるには、私たちが「慈しみ」の心を持つことが必要です。心が偏ることで、お互いが生きにくさを感じることがないように、心がけていきたいです。
ご先祖がお帰りなるお盆をお迎えします。遠方の方はご帰省できなかったり、お寺としても皆さまとの法要や盆経を行うことができず辛い夏となりますが、良いことを見つめて、より善い心を保ってまいりましょう。