東漸寺の大クスは樹齢およそ500年といわれ、いや、50年前にもそう云われていましたから、正確に言うと550年となるのでしょう。そういう人間の細かいこだわりなど忘れるくらい大きく、伸びやかに枝を伸ばす巨木です。幹周9メートル、樹高20メートル。その長い樹齢の中には多くのできごとがありました。
明治維新で廃寺となった東漸寺を復興する時に、クスノキを材料にすることが検討されました。意見は二分して、木を守る方々がお檀家をつくり、明治13年に現在の本堂が建ちました。
昭和20年、樟脳を取るために供出するように打診がありました。長崎県庁に保護を求め、供出を遅らせる助言をいただき、そのうちに終戦となりました。
50年ほど前、お寺のまわりは全部田んぼで、私は、あぜを少しばかり広げたほどの土の道を歩いて幼稚園へ通っていました。お隣に公務員住宅ができて、道路が舗装をされて、木の根本は、アスファルトで固められてしまいました。
この頃から樹勢は急激に落ちていきます。毛虫が大量発生をした時は、消防車からの放水で退治を行ったこともありました。 お寺のためにと地主様が広げてくださった通路ができて、一気に住宅開発が進み交通量が増え、落葉や落木への苦情など、楠の木にとっては居心地の良くないこともありました。
しかし、それ以上に多くの方々がご奉仕で掃き掃除をしていただきました。親しみを持って接し、保護にご協力してくださいます。中里小学校の新聞は「おおぐす」という名称で、そういう物心両面のあたたかいお力に支えられています。
平成11年に保存事業で樹勢を回復させました。平成20年、正面の田を地主様のご好意でお譲りくださることとなり、クスノキの保護のため購入し、樹域を守る基礎をつくりました。これは私の代として、もっとも大きな決断でした。これで当分安心できると思っていましたが、とつぜん状況が変わりました。
昨年、隣地の公務員住宅が競売となることが決まりました。クスノキは市道を超えて樹域が伸びていますし、春にはどっさりと葉を落とします。台風一過の落木はかなりの量となります。国のアパートとしての土地で、ちょうど家庭菜園などに使われていましたので、トラブルなどはなかったのですが、民有地となるとそうもいきません。財務省と保存のためのエリアを確保するための折衝を重ねましたが、入札参加以外には方法はないとの回答でした。結局、株式会社日進興産様が土地の所有者となり、住宅開発が行われることとなりました。
日進興産様は、楠の木の保護に対して最大のご理解をいただきました。私が思いつく様々なプランを真剣に取り合って頂き、夜遅くまでお話し合いを重ねる日が続きました。そういう間に、佐世保市も保護に向けたお力を寄せていただくようになりました。
東漸寺、日進興産様、佐世保市様の三団体の話し合いで妥協点を見つけ、土地を提供して、ほんの僅かではありますが道路を広げて、迂回するようになりました。 樹木自体の状況についての調査は、佐世保市教育委員会社会教育課に協力をいただきました。長崎大学や樹木医など複数の方々から、巨大台風などの対策のために、木を小さくする必要があるとの指摘を受けました。木を軽くすることで、主幹を守ることが目的です。
伸びやかな木、そして霊験あらたかな木の雰囲気を守るために、枝の伐採について私自身が納得をすることに長い時間がかかりました。多くの霊木が倒木していったことを目のあたりにし、もっと守る手段があったはずだという意見を最重要としました。 実際に内部を見ると、幹の空洞化が激しく、多くの部位が腐敗しています。この治療をします。また、長年の道路で固まってしまった土壌を改良が不可欠で、水分の浸透、肥料の注入も容易にできるよう、周辺部のインターロッキングや土舗装などを行います。
そして、最大の課題が、楠の葉、落木などの争議を回避するために、隣地の確保です。空洞化の状況や今後の樹勢からすると、万が一の時には南西方向へ倒れる可能性があります。 お寺にとってはたいへん大きなできごとです。樹齢500年のクスノキを、次の世代にも、そして1000年先の人々にも親しんでいただけるように、守っていきたいと願っています。
折に触れて、お知らせを行いますね。
#ksnk1000prj