NCC長崎文化放送公式チャンネルで、愛宕まつりの様子を公開していただきています。
連日の機材とともに山頂までの取材は、とても大変なことで、誠に有難うございました。
ひとりひとりの思いや、山を一歩づつ登っていく時間を大切にする「愛宕まつり」を、つなげていきたいと思っています。
更生施設で道徳授業のお手伝いをしています。道徳といっても、いかにかっこいい大人の男性になるかを一緒に考えていく話をします。どうすればモテるかを私なりに語るのですが、今の若い人たちには失笑をかうことが多いので、あんまりかっこいいとは思ってくれていないようです。それでも、授業の感想文を見ると、わずかばかりは賛同もしてくれているようなので、かれこれ15年ほど続けています。
少年たちは間違いを起こす前に、家族で過ごす時間は少なく、学校にも居場所がなかったと語ります。給食を一緒にしながら話すと、こうやって家族でご飯を食べたことはなかったという子はとても多いです。
それでも、作文には被害者や家族への償いの心など切ない思いを書いています。意見発表会では、母親に迷惑をかけた、悲しませてしまったと神妙な顔で語ります。
あたたかいご飯をいただくと、満腹になり、心が安らかに平らかになります。生命あるものには食べ物が必要です。お互いを大切に思うからこそ、ご飯を提供しますし、おもてなしを受けたりします。私たちはみんな、自分を認めて欲しいという願いを持っています。それがかなえられない時に、人はだれでも思わぬ行動をするのです。
仏さまには、日々仏飯をお供えをします。けっしてご飯が減ることはありませんが、とても大切なことです。お供えをすれば、自然に手を合わせます。ご先祖あっての私であることを感じます。自分の生命の根源を認めることで、私自身がほかの生命を認めていく心が育ちます。
お寺では朝にごはんを炊いてお供えをして、昼には下げています。お一人暮らしでは定期的にご飯を炊かないこともあります。炊いた時にお供えをしても良いし、あるいは、電子レンジで温める時に、仏さまの分も合わせても良いでしょう。ご飯の数の基本は、ご飯とお茶を一つづつです。自分に身近な方が亡くなった場合は、一つ足しても良いですね。とはいっても、ご先祖の数だけ全部でなくてよいのです。
あたたかいご飯をご先祖にも大切な人にも。そして私にも。お腹をいっぱいにすることで、きっと幸せがつながっていきます。
自分自身にはあたたかいご飯がなかった少年たち。辛かった分だけ、将来の大切な人には、そういう思いをさせないようにしてくださいとお願いをしています。
辛かったこと、苦しかったことは、自分の力で断ち切って、楽に生きていく道をつくっていこうと語っています。どこかでちょっとばかり我慢しながら生きて生きていった時に、なにか見えてくるものがあることに、気づいてくれないかなと思っています。
*1:お写真は御檀家様の三七日のお参りの後のお斎(とき)。親戚の方々も集まり心を込めてお食事を作り、共にいただきます。お食事をしながら、今後のことや供養のあり方などお喋りをしながら過ごします
「さまや まつり」
平成30年11月24日(土)10時~お昼ころまで
お寺の寺周辺の住宅開発がすすみ、賑わいが増すととともに、山門脇にそびえる長崎県天然記念物「大クス」保存のための空間が必要となりました。
千年先でもクスノキが葉を茂らせることを喜びとする地域であることを願い、「クスノキ千年計画」として樹勢回復事業を行いました。
おかげさまで美しい姿となり、樹域保護エリアとして用地取得し道の整備を行い、将来、クスノキが倒れることがあってもなるべく寺の内で済むようにと、半ばやむを得ない建設ではありましたが講堂「さまや」も無事に竣工いたしました。
平成26年の佐世保市文化財「薬師如来立像」から始まり「不動明王像」修理完了、長崎県景観資産指定など有り難いご縁をいただきました
これは、この地域で昔々より生きてきた方々からの贈り物でありますし、今を生きるみなさまがたのお心がけの賜であり、深く感謝申し上げます。
落慶式を行いますので、ご自由にお参りいただき 楽しい一時をお過ごしくださればと存じます。
趣 旨
「歴史の保存」は 当地域に数千年にわたり住み続けてきた先人への感謝と、
信仰への敬意 そして 未来を作り出す子どもたちへ命の根源を伝えるために、
寺の責務として最も大切にしております。
さまや(三摩耶)とはサンスクリット語で集まりや約束という意味です。
大きなクスノキを多くの人たちの力で時代を超え守り伝えていく誓願を
象徴する言葉として使っています。
この地域の子どもたちは必ず足を運び見学をする東漸寺です。
より多くの皆さまに文化財保護の大切さを知っていただくとともに、
自然と調和をした地域であり続けることを願い、
広く皆さまにお知らせをし開催いたします.
詳 細
午前10時 本堂内にて落慶記念護摩法要を行い、薬師如来(佐世保市文化財)
不動明王(佐世保市文化財)の御前にておひとりづつ拝観をしていただきます。
午前10時50分 法要に引き続き本堂内にて記念式典(11時10分終了予定)
その後 大クス(長崎県天然記念物) 魔鏡(佐世保市文化財)
宗家松浦盛公の宝篋印塔(佐世保市文化財) などをご朱印を集めながら巡ります
同時に講堂「さまや」にて 縄文土器をはじめ 地域の歴史をたどる
展示を行います。
境内にて婦人会でご準備いただく各種ご接待を ご随意にお楽しみください。
*雨天の場合は本堂での法要と式典のみを行い、客殿にてお接待を行います。
*ご自由に参加いただけますので ぜひお子様やご親族などご一緒にお参りください。
*駐車場に限りがありますのでできる限りのご協力をお願いします。
1993年は憧れのマッキントッシュというコンピューターが身近になった年でした。お家にやってきた一体型のLC520はモニタが大きく頭でっかちで、SE/30やクラッシックのように格好良くはありませんでしたが、内臓ステレオスピーカーからの起動音は田舎の寺に未来が来たことを感じるには十分でした。ハイパーカードで勉強をし、アルダスページメーカーで寺新聞を作り、ファイルメーカーでデータベースを実践していました。
しばらく使っていると、クールなはずの筐体が黄ばんできました。なんということでしょう。磨き粉や洗剤などを使って磨いてみたりしたけどキレイにはなりません。未来への使者は意外に人間味があるなぁなんて感じるほど私のココロの修行も足りておらず、ただただ、残念な気持ちになっていた思い出があります。
それから25年が過ぎ、黄ばんだ筐体に見せるシールをマックブックに貼り付けて悦に入っている自分がいます。我ながら、誠にご苦労さまなことです。
大好きなモノ(あるいは人)の変化は、苦しみとなっていきますが、時が過ぎると喜びにも成り得るのですね。苦楽はそのモノが決めているのではなく、自分の心の持ちようです。宝物が手の中にある間は喜びで心が満たされますが、落として割れた瞬間に悲しみや怒りへと変わることも同じような理屈です。
人生を振り返ってみると、思い通りになったことよりも、そうならなくて苦しんだことが懐かしく記憶に蘇るものです。その時の工夫や努力は何かのカタチで生きてくる可能性が高いのです。ちょっと不自由かなって思っても、楽しんでいきましょうよ。
今日は少しだけお手伝いをしている更生施設の観桜会。少年たちと一緒にお昼をいただき、レクリエーションをして過ごします。残念ながら昨晩からの雨に、桜はほぼ散ってしまいました。
はじめに施設長さまのご挨拶
「今日は目の前にもう桜はありません。しばらく瞳を閉じてください。
そして、今までに見た桜の花を思い出してみてください。
一人で見た桜、家族で観た桜、もしかしたら、桜の下でも悪いことをしたかもしれませんね・・・。
もうしばらくの間、心の中の桜を見つめてください」
「思い出してみた?」と食事をしながら隣の少年に聴くと、
「思い出せないです、何やってたのか」と。
「今年のはどうかな」
「必ず覚えておきます」
「いいよ、そんな真面目なこと云わなくても、私は先生じゃないし」
そんな他愛もない話をしながらご飯を一緒にする春の午後。
ゼスチャーゲームで「羽生結弦」を表現するのは、
私も少年も、とても難しかったです。
東漸寺の大クスは樹齢およそ500年といわれ、いや、50年前にもそう云われていましたから、正確に言うと550年となるのでしょう。そういう人間の細かいこだわりなど忘れるくらい大きく、伸びやかに枝を伸ばす巨木です。幹周9メートル、樹高20メートル。その長い樹齢の中には多くのできごとがありました。
明治維新で廃寺となった東漸寺を復興する時に、クスノキを材料にすることが検討されました。意見は二分して、木を守る方々がお檀家をつくり、明治13年に現在の本堂が建ちました。
昭和20年、樟脳を取るために供出するように打診がありました。長崎県庁に保護を求め、供出を遅らせる助言をいただき、そのうちに終戦となりました。
50年ほど前、お寺のまわりは全部田んぼで、私は、あぜを少しばかり広げたほどの土の道を歩いて幼稚園へ通っていました。お隣に公務員住宅ができて、道路が舗装をされて、木の根本は、アスファルトで固められてしまいました。
この頃から樹勢は急激に落ちていきます。毛虫が大量発生をした時は、消防車からの放水で退治を行ったこともありました。 お寺のためにと地主様が広げてくださった通路ができて、一気に住宅開発が進み交通量が増え、落葉や落木への苦情など、楠の木にとっては居心地の良くないこともありました。
しかし、それ以上に多くの方々がご奉仕で掃き掃除をしていただきました。親しみを持って接し、保護にご協力してくださいます。中里小学校の新聞は「おおぐす」という名称で、そういう物心両面のあたたかいお力に支えられています。
平成11年に保存事業で樹勢を回復させました。平成20年、正面の田を地主様のご好意でお譲りくださることとなり、クスノキの保護のため購入し、樹域を守る基礎をつくりました。これは私の代として、もっとも大きな決断でした。これで当分安心できると思っていましたが、とつぜん状況が変わりました。
昨年、隣地の公務員住宅が競売となることが決まりました。クスノキは市道を超えて樹域が伸びていますし、春にはどっさりと葉を落とします。台風一過の落木はかなりの量となります。国のアパートとしての土地で、ちょうど家庭菜園などに使われていましたので、トラブルなどはなかったのですが、民有地となるとそうもいきません。財務省と保存のためのエリアを確保するための折衝を重ねましたが、入札参加以外には方法はないとの回答でした。結局、株式会社日進興産様が土地の所有者となり、住宅開発が行われることとなりました。
日進興産様は、楠の木の保護に対して最大のご理解をいただきました。私が思いつく様々なプランを真剣に取り合って頂き、夜遅くまでお話し合いを重ねる日が続きました。そういう間に、佐世保市も保護に向けたお力を寄せていただくようになりました。
東漸寺、日進興産様、佐世保市様の三団体の話し合いで妥協点を見つけ、土地を提供して、ほんの僅かではありますが道路を広げて、迂回するようになりました。 樹木自体の状況についての調査は、佐世保市教育委員会社会教育課に協力をいただきました。長崎大学や樹木医など複数の方々から、巨大台風などの対策のために、木を小さくする必要があるとの指摘を受けました。木を軽くすることで、主幹を守ることが目的です。
伸びやかな木、そして霊験あらたかな木の雰囲気を守るために、枝の伐採について私自身が納得をすることに長い時間がかかりました。多くの霊木が倒木していったことを目のあたりにし、もっと守る手段があったはずだという意見を最重要としました。 実際に内部を見ると、幹の空洞化が激しく、多くの部位が腐敗しています。この治療をします。また、長年の道路で固まってしまった土壌を改良が不可欠で、水分の浸透、肥料の注入も容易にできるよう、周辺部のインターロッキングや土舗装などを行います。
そして、最大の課題が、楠の葉、落木などの争議を回避するために、隣地の確保です。空洞化の状況や今後の樹勢からすると、万が一の時には南西方向へ倒れる可能性があります。 お寺にとってはたいへん大きなできごとです。樹齢500年のクスノキを、次の世代にも、そして1000年先の人々にも親しんでいただけるように、守っていきたいと願っています。
折に触れて、お知らせを行いますね。
#ksnk1000prj