黄ばんだマック

  1993年は憧れのマッキントッシュというコンピューターが身近になった年でした。お家にやってきた一体型のLC520はモニタが大きく頭でっかちで、SE/30やクラッシックのように格好良くはありませんでしたが、内臓ステレオスピーカーからの起動音は田舎の寺に未来が来たことを感じるには十分でした。ハイパーカードで勉強をし、アルダスページメーカーで寺新聞を作り、ファイルメーカーでデータベースを実践していました。

 

 しばらく使っていると、クールなはずの筐体が黄ばんできました。なんということでしょう。磨き粉や洗剤などを使って磨いてみたりしたけどキレイにはなりません。未来への使者は意外に人間味があるなぁなんて感じるほど私のココロの修行も足りておらず、ただただ、残念な気持ちになっていた思い出があります。

 

 f:id:tozenji:20180816180718j:plain

 

 それから25年が過ぎ、黄ばんだ筐体に見せるシールをマックブックに貼り付けて悦に入っている自分がいます。我ながら、誠にご苦労さまなことです。

 

 大好きなモノ(あるいは人)の変化は、苦しみとなっていきますが、時が過ぎると喜びにも成り得るのですね。苦楽はそのモノが決めているのではなく、自分の心の持ちようです。宝物が手の中にある間は喜びで心が満たされますが、落として割れた瞬間に悲しみや怒りへと変わることも同じような理屈です。

 

 人生を振り返ってみると、思い通りになったことよりも、そうならなくて苦しんだことが懐かしく記憶に蘇るものです。その時の工夫や努力は何かのカタチで生きてくる可能性が高いのです。ちょっと不自由かなって思っても、楽しんでいきましょうよ。