夏休みがおわりますね

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 夏休み最後の日曜日のご法事。お家に着くと、小学5年生のお姉さん、3年生の長男坊主、1年生の末っ子の三兄弟が待っていてくれました。ちょっと離れたところに住んでいるので、久しぶりに会うと、それぞれの成長がまぶしいです。

 

 今日はこの子たちのお祖父様の7回忌。ご親戚は遠いので、ご家族だけのご法事です。お経の本をお配りして、一緒に読んでいただきます。ふりがなも付いているし、とてもゆっくり読みますので、子どもたちも般若心経を読破していきます。

 

 お祖母様が準備をされているお斎(お食事)を、お嬢さんはお手伝いをしながら、長男坊主は妹にちょっかいを出し、お父様に「ほら、ふざけないっ」と、怒られながらと、ご家族みんなで食卓に並べて、いただきました。

 

 みんながお腹いっぱいになるとお祖父ちゃまがものすごい喜ぶんだってというと、長男坊主はにわかにピッチを上げます。お祖父様から抱っこされていたことを覚えているという話を聞いたり、人参のお煮しめ食べてえらいなぁ、あんま口に入れすぎやろ、だとか、にぎやかに時間が過ぎ、お腹もいっぱいになりました。

 

 帰りしな、末のお嬢様が「この桃食べたいっ!」と叫んでいるのにお構いなく、お祖母様がお供えの果物をお寺へ持たせようと分けられました。仕方がありませんでしたので、お嬢さんに今度お寺へいらっしゃいねとお約束をして、さよならをしました。

 

 故郷として大切な物を守り伝えている祖父母の役割は大変重要です。 略をしすぎたり、業者任せではない温かい行事でありたいと願っています。お寺でも夏休みイベントのようなことも行いはしますが、やはりこのような普段の暮らしを最も大切にしており、お寺としても最善を尽くしていることです。

 

 

 

施餓鬼会 せがきえ

平成28年8月8日(月曜日) 午前11時より

お盆をお迎えする始まりとして、施餓鬼会をおこないます。

 

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 先祖も私も帰省する家族も、かわいい犬も、いただいてしまった牛も魚も野菜も、大切にしているオオクワガタも、たたきでつぶしたハエも、すべてはいのちあるものであり、これを三界万霊といいますが、すべてのおたましいを等しく供養する法要です。

 

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 有縁無縁一切精霊という表現をします。自分に無縁であったとしても、別け隔てなく供養をするこころです。自分とか他人とか、多いとか少ないとか、有るとか無いとか言って眉間にしわ寄せてる間に、人生どんどん過ぎていってしまいますよ。

 

 そして、今考えていることも、10年経つと年老いていきますから、また違うことを考えている自分がいます。まわりの人もそれぞれ年をとって、生活も変わっているでしょう。

 

 亡くなったあとに、こうして欲しいとか、ああして欲しいとか、そんなに大事なことでしょうか。だって亡くなってしまっている自分のことですよ。あとの方が一番納得行く形ができれば良いのではと感じます。

 

 供養は死者が自ら行うものではなく、生きている人が、自身のこころを養い、生きる希望を保つための行事です。

 

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 わかりもしない未来のことを考える暇があれば、自分が生きている時に、なすべきことをしっかり見つめるべきです。

 

 そのあげくに死を迎えたとするならば、必ずこころから供養を捧げる人が続いていきます。

 

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 生きる私たちが供養のこころを持つことは大切です。ことのほか暑い夏、きついならきついなりに、余裕があるならこころをこめて、精一杯楽しんで供養をしていきましょう。

 

 素敵なお盆をお過ごしください。

 

お盆をおむかえします

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今年もお盆が来ます。


 大きな行事をひかえ、ひとりコツコツと準備をします。
毎年の決まったことをする時、たとえば施餓鬼棚を組む時、五如来の旗をつくる時、そういうふとした瞬間に、父はもういないのだなと、つくづく感じます。


 忙しい早くしないとと、もうこれくらいでいいかと思う時もあります。ふと、父の丁寧さを思い出し、あと一時間、余計に仕事をするうちに、懐かしい思い出が湧き、とても良い時間を過ごせます。紙を雑に切ってしまった時に、私は次の世代の者に、なにを残すことになるのだろうかと不安になり、新たな紙を出しながら、今しなければならないことを省みる時間を過ごせます。


 お盆は、ご先祖がお帰りなると云われます。過去の出来事と、今現在のこと、そして将来の様子が入り混じる季節。今を生きる私のための、大切な時間としていただければと思います。

みろくぼさつ

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 弥勒菩薩は、お釈迦さまの教えがとどかなくなる頃に、人々を救うといわれる仏さまです。サンスクリット語ではマイトレーヤで、これは「慈しみ」を語源としています。あらゆる人々の幸せを望む心がその本体であり、実践するためにずっと修行をされているのです。思索にふけるそのお姿。人が喜ぶことを行うには、必ず人知れずの努力があるものです。

 

 弥勒菩薩のようにありたいと願う心、また、弥勒菩薩の救いが目の当たりにあることを望む心。いずれの心も、心地良い世界でありたいとの願いを求めるもので、人としては当然の願いとなります。

 

 人生すべてを理想的に何の間違いもなく生きていくことはありません。考えてみれば、私自身も矛盾しながら、それでも生きています。良いことが自分で、悪しきことは外のせいではなく、どちらの姿も、本当の自分であることを認めることが肝心です。

 

 人生は理詰めでは生きることはできません。ましてや、他の人のある瞬間を捉えて善悪を判断することは愚かなことです。他の人から学ぶことはあっても、批判することで自身が幸せになることはありません。

 

 生きていく中で、考えられないことにもぶつかります。そういうつもりではなかったということも起こります。迷うからこそ、深く思索することは大切です。誰もが弥勒菩薩のような瞬間があり、その時は、神々しいほどの美しさにあふれます。

 

 人生では、それでもわからないこと、もう追いかけないほうが良いこともあるようです。そんな時は、仏さまのおかげですと済ませてしまう勇気も大切ですね。

 

お砂踏法要を行いました

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8日は奥の院岩問山へ登りました。

とても良いお天気で、いざ出発です。

 

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岩問山は、行基菩薩が開かれたと伝えられる霊山です。

尾根伝いに千年を超える古道を歩きます。

 

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御本尊薬師如来は石仏です。明治43年にお堂が全壊となる大崩落がありましたが、お堂から道に飛び出してお座りになっており、無事でおられたと伝えれています。

 

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旧お堂の跡地にお参りをしました。地震のあとでしたので、少々怖くなり、退散を致しました。

 

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5月8日は、お砂踏法要の日です。

般若心経を謹写をし、境内にあります石仏の霊場を巡ります。

 

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新緑のお寺行事、毎年5月8日に行っておりますので、どうぞご参加下さい。

 

 

 

 

 

 

 

ご報告

厳寒で枯れてしまったかと心配していましたインド菩提樹が芽吹きました。

 

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さて、熊本地震災害義援金をご報告いたします。


期  間 平成28年4月17日から5月5日まで
場  所 東漸寺本堂内 義援金
募金合計 49,789円


ご協力をいただきまして、誠にありがとうございました。
以上の通り、みなさまからお預かりいたしました募金に、東漸寺からの義援金を合算した合計8万円を、日本赤十字社熊本県支部へ送金いたしました。


ただただ、安楽な日が訪れますことを、お祈り申し上げます。

春のお彼岸法要

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3月17日(木) 午前11時

 

 身を整えるには、お風呂に入り、髪をとかしお洒落をしますが、心を整える方法は何でしょう。ストレス解消だと趣味を広げても、上手にできなかったり、人間関係でつまずくこともありますね。

 

 人生の苦しみや悲しみに、塵が積もるように心がくもり、生きる力を見失うことがあります。ですが、自性清浄といって、生まれ持った心はだれでも光輝くものでり、仏さまにお祈りを重ねることで、本来持っている心を回復しようと仏典は説きます。

 

 そう、やっぱり自分を信じましょう。そして、信じられる自分であり続けるように尽くしましょう。

 

 お彼岸は、身近なご先祖へのお祈りという善い行いをとおして、生きる私の心を整える行事です。お寺でお経をおあげします。心の垢を取り除く一助となればと思います。 

 

 彼岸法要には水子のご供養もならびにとりおこないます。