みろくぼさつ

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 弥勒菩薩は、お釈迦さまの教えがとどかなくなる頃に、人々を救うといわれる仏さまです。サンスクリット語ではマイトレーヤで、これは「慈しみ」を語源としています。あらゆる人々の幸せを望む心がその本体であり、実践するためにずっと修行をされているのです。思索にふけるそのお姿。人が喜ぶことを行うには、必ず人知れずの努力があるものです。

 

 弥勒菩薩のようにありたいと願う心、また、弥勒菩薩の救いが目の当たりにあることを望む心。いずれの心も、心地良い世界でありたいとの願いを求めるもので、人としては当然の願いとなります。

 

 人生すべてを理想的に何の間違いもなく生きていくことはありません。考えてみれば、私自身も矛盾しながら、それでも生きています。良いことが自分で、悪しきことは外のせいではなく、どちらの姿も、本当の自分であることを認めることが肝心です。

 

 人生は理詰めでは生きることはできません。ましてや、他の人のある瞬間を捉えて善悪を判断することは愚かなことです。他の人から学ぶことはあっても、批判することで自身が幸せになることはありません。

 

 生きていく中で、考えられないことにもぶつかります。そういうつもりではなかったということも起こります。迷うからこそ、深く思索することは大切です。誰もが弥勒菩薩のような瞬間があり、その時は、神々しいほどの美しさにあふれます。

 

 人生では、それでもわからないこと、もう追いかけないほうが良いこともあるようです。そんな時は、仏さまのおかげですと済ませてしまう勇気も大切ですね。