思うようにならない

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思うようにならないことで、ストレスを感じます。

 

そもそも、生まれることも、歳を重ねることも、病になることも、やがて死にいくことも、自分の思うようにはなりません。

 

自身が思うようにならないのに、人が思うようになるはずがありません。

 

愛する人とは離れてしまい、憎んでいる人は目につきます。求めるものを得ることができず、心と体のバランスを保つのはとてもむずかしいですね。

 

そういうさまざまな条件により、生きることが思うようにならないと感じます。

 

しかし、そうではないことを明らかにすること、つまり、本来的に思うようになることなど、この世にはないことを理解しなければなりません。とても、難しいですが。

 

世の中を震撼させるような大きな出来事は、思いどおりにしたいという欲望が根底にあります。

 

たったひとりの私に社会を変える能力はありませんが、武器を手にしないことは可能です。拳を上げないこともできるでしょう。相手の立場を無視して不満を言わないことも、人をおとしめるような行動をしないことも、うわさ話をしないことも、偏ったものの見方をしないことも、がんばればできるはずです。

 

つまり、自分が思いどおりにしたいために、まわりにそれを強要することをつつしむことは、個人としてできるのではないかと期待します。

 

声高に社会に正義を唱えることは簡単ですが、個人の思いどおりをおさえることは難しいです。それはたとえば、友達の間、恋人との間、あるいは夫婦の間、年老いた方と接するとき、ドライブのマナー、お店に入った時、また物を買うとき、、、自身が人と接するすべての時に。

 

大きな出来事と個人的な出来事、照らし合わせた時に、人を苦しめるという意味ではそんなに変わらないのかもしれないことを、心にとどめておく必要があります。

おっくうなお話

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 お写真は除夜の鐘のようすです。寒い中長い時間お待たせしてしまいますが、必ず一回づつ撞いていただきます。さて、長い時間のお話です。

 

 気乗りがしないことをするのは、おっくう(億劫)なことです。「劫」とはサンスクリット語でカルパという時間の単位で、20キロメートル四方の石山を百年に一度天女が舞い降り羽衣でなでて、すり減ってなくなる時間が1劫といわれます。その億の劫なので、たいへんに長い時間です。このことから、とても面倒なことの意味に使われます。

 

 私たちは目の前で結果が出ないと不安になりますが、人は何十年と生きていくものです。劫からすれば、ほんの短い間での善し悪しが、人生の中でどれほどの価値を占めるのか、冷静な判断が必要です。夢は自分がかなわずとも、まじめにさえ取り組めば、次の世代が成し遂げることもあります。未来永劫というと、気おくれしそうですが、あわただしい世の中で、こつこつと時間をかけて物事にあたることは大切です。

 

 長い時間も必ず終りがあります。終わりとは、時間も、自分も、物も、すべてから離れることです。「我」が残ると、終わることはできません。我をなくすからこそ、とらわれから離れた、静かな世界がひろがると仏典は教えます。

 

 「亀の甲より年の劫」、経験を積んだ方への尊敬のことわざです。あなたが尊敬する人は、一生を懸命に生きぬき、我から離れ、いさぎよく、そして安らかに終りを迎えたのではないですか。仏となったその人は、何も言わないことで、拝む私の心を支えてくれるのではないですか。

 

 終わりを考えることが億劫に感じるのはなぜでしょう。それは、我をなくすべきことに、我を持ちこむからです。そして、正解も何もない、ただ結果を受け止めるべきことに、つまり、考えなくて良いことまでも、不安をあおるかたちで考えさせる風潮があるからです。

 

 終わりのことより、生きること。未来を小さくするよりも、今の縁を生かしきることに努めたいものです。

お巡り

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お巡(めぐ)りさんが着る白衣を、笈摺(おいずる)といいます。

 

笈(おい)とは、ほとけさまや身の回りの品を背負う箱で、背負子に箱が組み合わさったようなものですね。これを背負うときに、衣が摺(す)れないように着ていたものが本来です。

 

笈摺には、お大師さまをお慕いされるのであれば、南無大師遍照金剛の文字を背中に入れます。

同行二人(どうぎょうににん)といって、常に自分自身がお大師さまとなって修行をすることが巡礼です。

 

笈摺を身につけていることは、自身が仏である、つまり、行動や言葉、そして心から慈しみを忘れないようにしなければなりません。その上で、季節や土地を楽しみ、霊場を巡ることによって、観光旅行では見えないものを観じることができるでしょう。

 

ちなみに、笈摺をお持ちの方が亡くなられた時は、着せて(現実にはむずかしいでしょうから、上からかけて)あげるとよいでしょう。 

岩問山(いわとさん)

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 お寺から東南の方向に東漸寺の山林があり、古道を15分ほど登ったところが、奥の院、岩問山(いわとさん)です。和銅年間(708年)に行基菩薩により開かれたと伝えられ、佐世保での霊山としてはもっとも古い時代のものとなります。寛和2年(986年)、この岩問山の薬師如来を現在の場所に移し、東漸寺が開創されます。

 落ち葉を踏みしめながらの岩問の道は、千三百年の時を経ています。現在の奥の院薬師堂は昭和62年に改築されました。石仏の薬師如来座像をおまつりしています。ここから、さらに30メートルほど進むと、奥の院跡奥屋敷です。

 明治39年、夜中に岩問さまの方から、ものすごい音がしました。夜が明けて、みんなで登ってみると、巨大な岩の崩落で、お堂は見る影もありません。しかし奇跡的なことに、お薬師さまはお堂から転がり出して、道にお座りになっており、無事だったと伝えられます。

 

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 木立を分け入り、お堂跡の岩壁を見ると、薬師経が刻まれています。天保10年(1839年)4月8日、東漸寺第二十四世法印観公代に、草刈彌平、工助が願主となりお堂を再建し、台座を新調したことが記してあります。

 

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 これまで、数え切れない多くの方が、喜びにつけ悲しみにつけ、岩問さまを拝むために、この道を通ったことでしょう。行きなさいと言われるわけではなく、だれかが待っているのでもありません。当然ですが、お茶がいただけることもなく、何かが売ってあるわけでもありません。ただ、1300年の時を経て、ひっそりと多くの人の手により、拝むことだけが目的で守り伝えられてきました。

 それが信仰の原点であるはずですし、東漸寺の基本姿勢です。毎月8日の朝、お寺を出て、お参りをしております。

写経会のご案内

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写経会

 

 元旦に写経会を行いました。周知をしていなかったので、寺族で行わないといけないかなぁと思っておりましたら、厄祓いでお参りに来ていらっしゃったご家族皆さんの参加をいただき、まずは20枚の納経ではじまりました。

 

そういう感じで、アットホームに行っておりますのでぜひご参加下さいね。

 

1月1日(木) ・ 15日(木)

2月1日(日) ・ 15日(日)

3月1日(日) ・ 15日(日)

 

すべて午後2時(1時間程度)

 

硯、筆、墨汁、また、筆ペンを用意しております。使い慣れたものがあればご持参下さい。準備など、みなさまにご協力をいただきながらの会となりますので、よろしくお願いします。

 

また、4月27日までは、本堂で写経ができるように机を出しておきます。法事などを行っていない時は、ご自由にお使い下さい。

写経奉納のお願い

奉納期間 平成27年元旦〜4月26日

 

 ご本尊さまの大修復のご縁つなぎとして、写経奉納を行います。お納めいただきました写経は、ご本尊さまの蓮華座へ奉納します。お名前をしるした写経が末代まで保存されます。お子さま向きも準備しておりますので、ご家族、ご親類など、多くの皆様にこの吉縁を活かしていただきたく、ご案内申し上げます。

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 写経は奥の院岩問山に摩崖に残されている薬師経(漢字108文字)と、薬師如来のご真言(ひらがな63文字)の二種類。 

 

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 お経を薄く印刷しており、なぞり書きをして頂きます。人に見せるものではなく、心をととのえることが目的です。ぜひご体験下さい。

 

 納経料一巻につき千円とし、ご本尊修復事業のお浄財とさせて頂きます。お一人で何巻でも、また御檀家の有無は問いません。

 

 納経料をお納めの上、写経用紙をお受けください。ご自宅でお書きになり、本堂の納経箱へ納めて下さい。遠方の方は必要枚数をお申し出下さればお送りします。

 

 また、寺にて写経会を行いますので、ご参加下さい。

 

写経会

 

1月1日(木) ・ 15日(木)

2月1日(日) ・ 15日(日)

3月1日(日) ・ 15日(日)

 

すべて午後2時(1時間程度)

 

硯、筆、墨汁また、筆ペンは用意しております。使い慣れたお持ちのものがあればご持参下さい。

準備など、みなさまにご協力をいただきながらの会となりますので、よろしくお願いします。

あけましておめでとうございます

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 東漸寺のご本尊さまは、薬師如来立像です。檜の一木造りで七百年ほど昔の鎌倉期に刻まれました。その後三百年前に京都で修復が加えられております。戦時中、防空壕へ隠されていたこともあり、大変痛みが激しく、平成26年度佐世保市文化財保存整備としてご協力を頂くこととなりました。現在、仏師さまのもとで修復されており、平成27年3月末に完了いたします。

 

 東漸寺では、平成27年、大修復を記念する行事を行います。多くのみなさまが広く楽しめるような文化行事となりますことを願っています。

 

 地方の小さなお寺が手作りで行う行事です。多くのみなさまにご興味をいただくことで、やりがいもでます。多くのみなさまの、さまざまな面でのご協力をお願いします。