思うようにならないことで、ストレスを感じます。
そもそも、生まれることも、歳を重ねることも、病になることも、やがて死にいくことも、自分の思うようにはなりません。
自身が思うようにならないのに、人が思うようになるはずがありません。
愛する人とは離れてしまい、憎んでいる人は目につきます。求めるものを得ることができず、心と体のバランスを保つのはとてもむずかしいですね。
そういうさまざまな条件により、生きることが思うようにならないと感じます。
しかし、そうではないことを明らかにすること、つまり、本来的に思うようになることなど、この世にはないことを理解しなければなりません。とても、難しいですが。
世の中を震撼させるような大きな出来事は、思いどおりにしたいという欲望が根底にあります。
たったひとりの私に社会を変える能力はありませんが、武器を手にしないことは可能です。拳を上げないこともできるでしょう。相手の立場を無視して不満を言わないことも、人をおとしめるような行動をしないことも、うわさ話をしないことも、偏ったものの見方をしないことも、がんばればできるはずです。
つまり、自分が思いどおりにしたいために、まわりにそれを強要することをつつしむことは、個人としてできるのではないかと期待します。
声高に社会に正義を唱えることは簡単ですが、個人の思いどおりをおさえることは難しいです。それはたとえば、友達の間、恋人との間、あるいは夫婦の間、年老いた方と接するとき、ドライブのマナー、お店に入った時、また物を買うとき、、、自身が人と接するすべての時に。
大きな出来事と個人的な出来事、照らし合わせた時に、人を苦しめるという意味ではそんなに変わらないのかもしれないことを、心にとどめておく必要があります。