花まつり

花まつり法要 4月12日 午前11時から 東漸寺本堂にて

 

 花まつりとは、お釈迦さまのお誕生を祝う行事です。生花で飾りつけをした花御堂のお釈迦さまへ、甘茶をかけておがみます。お釈迦さまがお生まれになったとき、龍王が空から甘露の雨を降らせて、お誕生を祝ったという言い伝えに由来するものです。

 

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 花まつり法要では、お釈迦さまのお誕生にあやかり、本尊さまから赤ちゃんへお念珠をお授けし、身体強健・子育て成就をお祈りするお加持会を行います。どうぞ、赤ちゃんをお連れになりお参り下さい。

 

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 その清らかな無垢の手をはじめて合わせ、ご縁をおつなぎください。

 

(4月8日は佐世保仏教連合会で島瀬公園にて花まつり法要を行いますので、東漸寺では毎年12日に行っています)

愛宕まつり

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 柚木から俵ヶ浦にいたる、昔、相神浦(あいこのうら)といわれた地域からは、いたるところから愛宕山を望むことができます。


 愛宕勝軍地蔵菩薩、不動明王、毘沙門天の三尊は、戦国時代の武将たちの守り本尊でした。この地をおさめた宗家松浦氏は、愛宕さまを中心にお祀りしたのでしょう。

 江戸時代となり、この地を治めた平戸松浦氏は、滅ぼしてしまった宗家のお城があった愛宕山を、東漸寺に命を出して手厚く守ります。旧正月24日の地蔵菩薩の初縁日に、愛宕勝軍地蔵菩薩を山頂でおまつりすることが始まったのです。

 

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 東漸寺は平戸藩祈願寺でしたので、明治になると役目がなくなり廃寺となります。勝軍地蔵は武将が神格化した姿で廃仏棄釈の格好の対象となり、明治以降に国の政策として始まった神社神道にくみこまれ、いったんは愛宕神社と名付けられ取り上げられます。江戸時代に松浦氏が造らせた祠や石灯籠などは壊されてしまいました。同様にして全国にあった白馬に跨る武将が錫杖と如意宝珠を持つ御姿のほとんどが、無かったものとされました。しかし、東漸寺は本尊を守ろうとする方々が集まり明治13年に本堂を再興。相浦愛宕山でも御神体と山頂を守る活動がおこり、山麓にある洪徳寺さま、金照寺さまを始め、地域の方々による、いにしえより勝軍地蔵菩薩が祀られていた仏のお堂であるとの証明が長崎県庁へ提出されて、愛宕神社は廃止され山頂のみが境内地として認められることとなり、古い時代のままの姿が残されました。現在も戦国時代からの遺構があちこちに見受けられます。

 

 

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 旧暦が廃止されて新暦に変わり、2月24日が御縁日と定められます。23日10時から東漸寺にて護摩祈願を行い、午後に愛宕勝軍地蔵さまを山頂へ運び上げ、夜7時から山頂御宝前にてご開帳をし、領内安全五穀豊饒、地域の安全と豊かであることをお祈りし、お堂でお籠りをします。昭和の初め頃には、8畳間ほどのお堂に泊まりきれずに、外で火を焚きながら朝がくることをお待ち受けしたと聞きます。24日の朝、皆様の参拝が始まります。

 

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 標高259メートル、30分ほどの急な山道、すれ違いざまに「こんにちは」「おつかれさま」「もう少しですよ」と、あたたかい言葉が交わされます。そして、山頂でまつられている愛宕さまを、それぞれの思いで拝む。住んでいる町の様子を高いところから眺め見る。それが「愛宕まつり」です。

 

 愛宕山の裾野の武辺城を向く方向が門前と呼ばれる、いわば正面玄関です。もともと、洪徳寺と飯盛権現が鎮座していました。飯盛権現は東漸寺が別当として祭礼を行っていました。今も付近の山中には古い石垣などが数多く残り、お城へとつながる飛び石や、直線道路が残っています。相浦中里ICが造られるときに発掘された門前遺跡は縄文から江戸時代という長い間の人の営みがみえます。

 

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 近世に相浦は炭鉱積み出しで港の方向へ町が開かれて、愛宕まつりに合わせて、市(いち)が立ちはじめ賑わい始めました。同時に愛宕山全域は陸軍の境界標柱が多く残っているように、要塞として機能していたようです。大正から昭和と、しだいに戦争が多くなり始めると、昔からのまつりごとが中断されて、人々の入山が規制されました。先々代の住職の昔話で、お地蔵さまを上げようとしていると山の中からいろいろな者が出てきて、止められて困ったと語っていました。第二次世界大戦下では、山全体の木が切り払われ、住職自体もとうとう入山が出来ずに、祭を行うことが出来ませんでした。

 

 戦後すぐに山頂でのおまつりを再開、復興と共に地域の要望で26日までの3日間の祭礼を行い、賑わいがおこるようになりました。時代がさらに移り休日という感覚が浸透し、現在の市は、縁日と無縁となり週末を選んで行われています。

 

 人の営みにより価値観は変わりますが、お祈りの心は変わらないよう、お守りしています。


 晴れは晴れのように、雨は雨のように、曜日もいろいろ、体調が良い時、すぐれない時、登れたり、登れなかったり。それが数百年を守ることです。

 

 水もなければお手洗いもない山です。2月でも汗びっしょりになるくらい、きつい勾配です。どうぞ、準備万端でお越し下さい。

からだ ことば こころ

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 お大師さまは、身(からだ)口(ことば)意(こころ)が常に一致していることが、幸せの条件であるといわれました。

 

 美しい月を見上げ、心からきれいだと思い、思わず「月がきれいだね」と言葉が洩れる時は、身体と言葉と心が一致しています。そういう純粋な行いの時には、どんな悩みも悲しみもなく、心が満たされています。

 

 ですが、騒々しい現代の生活では、かなり意識をしないと身口意をそろえることは難しいものです。

 

 きちんと座り、手を合わせ、お経を読むことは仏教の基本のスタイルです。この拝むという姿勢は、からだ ことば こころ を一致させる練習でもあるのです。

 

 深まりゆく秋、心落ち着かせるよい季節です。

野の花に

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 私の叔父は旧制中学校を卒業した後、僧侶となるべく東京石神井にあった智山専門学校へ進みました。この学校は大正大学へ統合。昭和18年、学徒動員で出兵をし、19年春にマニラ沖の輸送船で戦死をしました。戦後、私の父が意思を継ぎ大学へ進み、お寺を守ることとなりました。

 

 明治維新の混乱の中、家を失い6歳で出家をした祖父がたどり着いたのが、破れ寺となっていた東漸寺でした。 平戸藩がなくなりお寺は廃寺で御本尊を守り伝えようと30戸ほど家が集まり御檀家を作り、住職を請い入れました。お寺で生まれた初めての子ども、それが私の叔父ということになります。

 

 荒れた境内で育つ弟妹を率いる叔父は、「きれいなお寺にせんばね」と語りながら、お地蔵さまのまわりに、珍しい花を植えたそうです。東京へ出て行く前のことだったそうです。

 

 それがこのタマスダレ。今年も可憐な花を咲かせています。

 

 私は叔父に会ったことはありませんし、叔父が僧侶になることが出来たならば、私という存在がこの世の中には無かったことでしょう。

 

 この花を通じて、今、こういうお寺となっていますよと、伝えることができるようで有難いです。

 

 

 

 

 

不動明王さま

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 アチャラナータというと、どこかのカレー屋さん?とお思いかもしれませんが、不動明王のことです。髪に蓮華を飾り、左に束ねて、胸の上まで垂らして、オシャレさんなんです。

 

 が、私たちが迷っていることに対して、すごく怒っています。信頼があるからこそ怒ることができるのです。ちょうど、子を叱る親のように私たちのことを深く考えて、寄り添ってお世話をしようとされています。ですから、全身は昔の召使の姿をされているといわれます。

 

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  長崎新聞に掲載されましたが、東漸寺の木造不動明王立像が、佐世保市有形文化財に指定をされました。素朴で愛らしい仏さまです。光背と岩座はクスノキで、仏体はとても重い堅木、今の段階ではおそらく松ではないかと推測されています。

 

 松の木は、玄海を望む地域で神木として伐採を禁じられるなど、大切にされてきた例が多いです。もちろん、防風の役目も強いのでしょう。松浦家が門松にシイノキを使う理由もしかりです。松の木で仏像を作ったという例はほとんどありません。一木造りですので、そもそも始めに大切な木があって、そこから不動明王を造り顕したと考えてもよいのではと、学芸員の先生からお聞きをしました。

 

 火炎光背と仏体背面に、永正9年(1512年)福石山青巌寺の住持(住職)阿闍梨 重慶 から、相神浦東漸寺住持 重深 へと寄進をされた旨の銘が墨書されています。

 

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 永正9年は、宗家松浦氏宗金親公が元服をした年で、相神浦の奪回に動き始めたとされる頃です。親公が生まれた明応3年(1493年)に、東漸寺は教意法印により再興されたと伝えられております。宗家松浦氏盛公は武辺城を築く頃に、東漸寺の秘仏である統一新羅時代如来像を安置し、御本尊薬師如来を祀りました。盛公の墓である宝篋印塔は応仁元年(1467年)東漸寺に建立され今に至ります。さまざまな縁がつながり、この不動明王も残ってきたのですね。

 

 本来は剣を持つ右手が欠損をし、銘が残る火炎光背が風化して砕けはじめており、折を見て修理をしなければなりません。

 

 詳しい調査と修理で、中世の歴史を語るうえでのお役に立てばと思いますし、なにより、500年の年月を超えて拝まれきた仏さまを、多くの皆さまにより親しんでいただけますようなお寺であり続けますよう、精進をしてまいります。

 

 

 

夏休みがおわりますね

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 夏休み最後の日曜日のご法事。お家に着くと、小学5年生のお姉さん、3年生の長男坊主、1年生の末っ子の三兄弟が待っていてくれました。ちょっと離れたところに住んでいるので、久しぶりに会うと、それぞれの成長がまぶしいです。

 

 今日はこの子たちのお祖父様の7回忌。ご親戚は遠いので、ご家族だけのご法事です。お経の本をお配りして、一緒に読んでいただきます。ふりがなも付いているし、とてもゆっくり読みますので、子どもたちも般若心経を読破していきます。

 

 お祖母様が準備をされているお斎(お食事)を、お嬢さんはお手伝いをしながら、長男坊主は妹にちょっかいを出し、お父様に「ほら、ふざけないっ」と、怒られながらと、ご家族みんなで食卓に並べて、いただきました。

 

 みんながお腹いっぱいになるとお祖父ちゃまがものすごい喜ぶんだってというと、長男坊主はにわかにピッチを上げます。お祖父様から抱っこされていたことを覚えているという話を聞いたり、人参のお煮しめ食べてえらいなぁ、あんま口に入れすぎやろ、だとか、にぎやかに時間が過ぎ、お腹もいっぱいになりました。

 

 帰りしな、末のお嬢様が「この桃食べたいっ!」と叫んでいるのにお構いなく、お祖母様がお供えの果物をお寺へ持たせようと分けられました。仕方がありませんでしたので、お嬢さんに今度お寺へいらっしゃいねとお約束をして、さよならをしました。

 

 故郷として大切な物を守り伝えている祖父母の役割は大変重要です。 略をしすぎたり、業者任せではない温かい行事でありたいと願っています。お寺でも夏休みイベントのようなことも行いはしますが、やはりこのような普段の暮らしを最も大切にしており、お寺としても最善を尽くしていることです。

 

 

 

施餓鬼会 せがきえ

平成28年8月8日(月曜日) 午前11時より

お盆をお迎えする始まりとして、施餓鬼会をおこないます。

 

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 先祖も私も帰省する家族も、かわいい犬も、いただいてしまった牛も魚も野菜も、大切にしているオオクワガタも、たたきでつぶしたハエも、すべてはいのちあるものであり、これを三界万霊といいますが、すべてのおたましいを等しく供養する法要です。

 

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 有縁無縁一切精霊という表現をします。自分に無縁であったとしても、別け隔てなく供養をするこころです。自分とか他人とか、多いとか少ないとか、有るとか無いとか言って眉間にしわ寄せてる間に、人生どんどん過ぎていってしまいますよ。

 

 そして、今考えていることも、10年経つと年老いていきますから、また違うことを考えている自分がいます。まわりの人もそれぞれ年をとって、生活も変わっているでしょう。

 

 亡くなったあとに、こうして欲しいとか、ああして欲しいとか、そんなに大事なことでしょうか。だって亡くなってしまっている自分のことですよ。あとの方が一番納得行く形ができれば良いのではと感じます。

 

 供養は死者が自ら行うものではなく、生きている人が、自身のこころを養い、生きる希望を保つための行事です。

 

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 わかりもしない未来のことを考える暇があれば、自分が生きている時に、なすべきことをしっかり見つめるべきです。

 

 そのあげくに死を迎えたとするならば、必ずこころから供養を捧げる人が続いていきます。

 

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 生きる私たちが供養のこころを持つことは大切です。ことのほか暑い夏、きついならきついなりに、余裕があるならこころをこめて、精一杯楽しんで供養をしていきましょう。

 

 素敵なお盆をお過ごしください。