秋のお彼岸法要

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秋のお彼岸法要

平成30年9月20日(木) 午前11時から12時まで

 

 お彼岸は、春はぼたもちを、秋はおはぎをお供えし頂くという習慣があります。収穫したばかりの夏小豆は粒餡にして、粒の姿が萩の花のようでおはぎと呼び、冬を越し硬くなった小豆はこし餡にして、牡丹の花のように丸く作るのがぼたもちだという説があります。

 小豆は古代からの食べ物です。甘いものは貴重で、人が集まる時に振る舞うことは、最高のおもてなしです。

 

 日が昇る東は生きるものを救う薬師如来、日が沈む西は極楽浄土を守る阿弥陀如来です。秋分のおひさまが、真東から真西に結ばれる様子に、生きる私とご先祖さまが結

ばれることを重ねます。

 

 自然と調和し、先祖を敬い、しのぶ日、それがお彼岸の心となりました。

 

 お寺では、お経をとなえ、仏の教えを説き、ご先祖のご供養と、生き方を考えるひとときとします。

黄ばんだマック

  1993年は憧れのマッキントッシュというコンピューターが身近になった年でした。お家にやってきた一体型のLC520はモニタが大きく頭でっかちで、SE/30やクラッシックのように格好良くはありませんでしたが、内臓ステレオスピーカーからの起動音は田舎の寺に未来が来たことを感じるには十分でした。ハイパーカードで勉強をし、アルダスページメーカーで寺新聞を作り、ファイルメーカーでデータベースを実践していました。

 

 しばらく使っていると、クールなはずの筐体が黄ばんできました。なんということでしょう。磨き粉や洗剤などを使って磨いてみたりしたけどキレイにはなりません。未来への使者は意外に人間味があるなぁなんて感じるほど私のココロの修行も足りておらず、ただただ、残念な気持ちになっていた思い出があります。

 

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 それから25年が過ぎ、黄ばんだ筐体に見せるシールをマックブックに貼り付けて悦に入っている自分がいます。我ながら、誠にご苦労さまなことです。

 

 大好きなモノ(あるいは人)の変化は、苦しみとなっていきますが、時が過ぎると喜びにも成り得るのですね。苦楽はそのモノが決めているのではなく、自分の心の持ちようです。宝物が手の中にある間は喜びで心が満たされますが、落として割れた瞬間に悲しみや怒りへと変わることも同じような理屈です。

 

 人生を振り返ってみると、思い通りになったことよりも、そうならなくて苦しんだことが懐かしく記憶に蘇るものです。その時の工夫や努力は何かのカタチで生きてくる可能性が高いのです。ちょっと不自由かなって思っても、楽しんでいきましょうよ。

桜の花

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 今日は少しだけお手伝いをしている更生施設の観桜会。少年たちと一緒にお昼をいただき、レクリエーションをして過ごします。残念ながら昨晩からの雨に、桜はほぼ散ってしまいました。

 

はじめに施設長さまのご挨拶

「今日は目の前にもう桜はありません。しばらく瞳を閉じてください。

そして、今までに見た桜の花を思い出してみてください。

一人で見た桜、家族で観た桜、もしかしたら、桜の下でも悪いことをしたかもしれませんね・・・。

もうしばらくの間、心の中の桜を見つめてください」

 

「思い出してみた?」と食事をしながら隣の少年に聴くと、

「思い出せないです、何やってたのか」と。

「今年のはどうかな」

「必ず覚えておきます」

「いいよ、そんな真面目なこと云わなくても、私は先生じゃないし」

 

そんな他愛もない話をしながらご飯を一緒にする春の午後。

ゼスチャーゲームで「羽生結弦」を表現するのは、

私も少年も、とても難しかったです。

 

 

春のお彼岸法要

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平成30年3月21日(水)午前11時から法要を行います。

(併せて水子の卒塔婆供養を行います)

 お彼岸とは、私の生活が、仏さまのように、やすらかで、幸せに過ごしているかを、かえりみるための行事です。ご先祖さまから見れば、残した子孫が幸せに暮らしていることが、最高の喜びでありますでしょうし、私からしても、心の円満なしには、供養を行うことができません。

 移ろう季節のように苦楽ある人生、かえりみる心を持つことのみが良い生き方へとむかいます。

 春のおだやかな日に、お寺やお墓参りを通じて、私のいのちの根源であるほとけさま、そしてご先祖さまへ、今の私がどう生きているかをお見せしましょう。

愛宕まつり

愛宕山山頂にて

毎年2月24日から26日まで


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 柚木から俵ヶ浦にいたる、昔、相神浦(あいこのうら)といわれた地域からは、いたるところから愛宕山を望むことができます。


 愛宕勝軍地蔵菩薩、不動明王、毘沙門天の三尊は、戦国時代の武将たちの守り本尊でした。この地をおさめた宗家松浦氏は、愛宕さまを中心にお祀りしたのでしょう。

 江戸時代となり、この地を治めた平戸松浦氏は、滅ぼしてしまった宗家のお城があった愛宕山を、東漸寺に命を出して手厚く守ります。旧正月24日の地蔵菩薩の初縁日に、愛宕勝軍地蔵菩薩を山頂でおまつりすることが始まったのです。

 

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 東漸寺は平戸藩祈願寺でしたので、明治になると役目がなくなり廃寺となります。勝軍地蔵は武将が神格化した姿で廃仏棄釈の格好の対象となり、明治以降に国の政策として始まった神社神道にくみこまれ、いったんは愛宕神社と名付けられ取り上げられます。江戸時代に松浦氏が造らせた祠や石灯籠などは壊されてしまいました。同様にして全国にあった白馬に跨る武将が錫杖と如意宝珠を持つ御姿のほとんどが、無かったものとされました。しかし、東漸寺は本尊を守ろうとする方々が集まり明治13年に本堂を再興。相浦愛宕山でも御神体と山頂を守る活動がおこり、山麓にある洪徳寺さま、金照寺さまを始め、地域の方々による、いにしえより勝軍地蔵菩薩が祀られていた仏のお堂であるとの証明が長崎県庁へ提出されて、愛宕神社は廃止され山頂のみが境内地として認められることとなり、古い時代のままの姿が残されました。現在も戦国時代からの遺構があちこちに見受けられます。

 

 

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 旧暦が廃止されて新暦に変わり、2月24日が御縁日と定められます。23日10時から東漸寺にて護摩祈願を行い、午後に愛宕勝軍地蔵さまを山頂へ運び上げ、夜7時から山頂御宝前にてご開帳をし、領内安全五穀豊饒、地域の安全と豊かであることをお祈りし、お堂でお籠りをします。昭和の初め頃には、8畳間ほどのお堂に泊まりきれずに、外で火を焚きながら朝がくることをお待ち受けしたと聞きます。24日の朝、皆様の参拝が始まります。

 

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 標高259メートル、30分ほどの急な山道、すれ違いざまに「こんにちは」「おつかれさま」「もう少しですよ」と、あたたかい言葉が交わされます。そして、山頂でまつられている愛宕さまを、それぞれの思いで拝む。住んでいる町の様子を高いところから眺め見る。それが「愛宕まつり」です。

 

 愛宕山の裾野の武辺城を向く方向が門前と呼ばれる、いわば正面玄関です。もともと、洪徳寺と飯盛権現が鎮座していました。飯盛権現は東漸寺が別当として祭礼を行っていました。今も付近の山中には古い石垣などが数多く残り、お城へとつながる飛び石や、直線道路が残っています。相浦中里ICが造られるときに発掘された門前遺跡は縄文から江戸時代という長い間の人の営みがみえます。

 

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 近世に相浦は炭鉱積み出しで港の方向へ町が開かれて、愛宕まつりに合わせて、市(いち)が立ちはじめ賑わい始めました。同時に愛宕山全域は陸軍の境界標柱が多く残っているように、要塞として機能していたようです。大正から昭和と、しだいに戦争が多くなり始めると、昔からのまつりごとが中断されて、人々の入山が規制されました。先々代の住職の昔話で、お地蔵さまを上げようとしていると山の中からいろいろな者が出てきて、止められて困ったと語っていました。第二次世界大戦下では、山全体の木が切り払われ、住職自体もとうとう入山が出来ずに、祭を行うことが出来ませんでした。

 

 戦後すぐに山頂でのおまつりを再開、復興と共に地域の要望で26日までの3日間の祭礼を行い、賑わいがおこるようになりました。時代がさらに移り休日という感覚が浸透し、現在の市は、縁日と無縁となり週末を選んで行われています。

 

 人の営みにより価値観は変わりますが、お祈りの心は変わらないよう、お守りしています。


 晴れは晴れのように、雨は雨のように、曜日もいろいろ、体調が良い時、すぐれない時、登れたり、登れなかったり。それが数百年を守ることです。

 

 水もなければお手洗いもない山です。2月でも汗びっしょりになるくらい、きつい勾配です。どうぞ、準備万端でお越し下さい。

クスノキ千年計画のはじまり

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 東漸寺の大クスは樹齢およそ500年といわれ、いや、50年前にもそう云われていましたから、正確に言うと550年となるのでしょう。そういう人間の細かいこだわりなど忘れるくらい大きく、伸びやかに枝を伸ばす巨木です。幹周9メートル、樹高20メートル。その長い樹齢の中には多くのできごとがありました。

 

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昭和15年のクスノキ

 

 明治維新で廃寺となった東漸寺を復興する時に、クスノキを材料にすることが検討されました。意見は二分して、木を守る方々がお檀家をつくり、明治13年に現在の本堂が建ちました。

 

 昭和20年、樟脳を取るために供出するように打診がありました。長崎県庁に保護を求め、供出を遅らせる助言をいただき、そのうちに終戦となりました。

 

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県庁よりいただいたお手紙

 

 50年ほど前、お寺のまわりは全部田んぼで、私は、あぜを少しばかり広げたほどの土の道を歩いて幼稚園へ通っていました。お隣に公務員住宅ができて、道路が舗装をされて、木の根本は、アスファルトで固められてしまいました。

 

 この頃から樹勢は急激に落ちていきます。毛虫が大量発生をした時は、消防車からの放水で退治を行ったこともありました。 お寺のためにと地主様が広げてくださった通路ができて、一気に住宅開発が進み交通量が増え、落葉や落木への苦情など、楠の木にとっては居心地の良くないこともありました。

 

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昭和37年 山門から中里下(馬子町)を眺める

 

 しかし、それ以上に多くの方々がご奉仕で掃き掃除をしていただきました。親しみを持って接し、保護にご協力してくださいます。中里小学校の新聞は「おおぐす」という名称で、そういう物心両面のあたたかいお力に支えられています。

 

 

 平成11年に保存事業で樹勢を回復させました。平成20年、正面の田を地主様のご好意でお譲りくださることとなり、クスノキの保護のため購入し、樹域を守る基礎をつくりました。これは私の代として、もっとも大きな決断でした。これで当分安心できると思っていましたが、とつぜん状況が変わりました。

 

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小学校の授業も行われます

 

  昨年、隣地の公務員住宅が競売となることが決まりました。クスノキは市道を超えて樹域が伸びていますし、春にはどっさりと葉を落とします。台風一過の落木はかなりの量となります。国のアパートとしての土地で、ちょうど家庭菜園などに使われていましたので、トラブルなどはなかったのですが、民有地となるとそうもいきません。財務省と保存のためのエリアを確保するための折衝を重ねましたが、入札参加以外には方法はないとの回答でした。結局、株式会社日進興産様が土地の所有者となり、住宅開発が行われることとなりました。

 

 日進興産様は、楠の木の保護に対して最大のご理解をいただきました。私が思いつく様々なプランを真剣に取り合って頂き、夜遅くまでお話し合いを重ねる日が続きました。そういう間に、佐世保市も保護に向けたお力を寄せていただくようになりました。

 

 東漸寺、日進興産様、佐世保市様の三団体の話し合いで妥協点を見つけ、土地を提供して、ほんの僅かではありますが道路を広げて、迂回するようになりました。  樹木自体の状況についての調査は、佐世保市教育委員会社会教育課に協力をいただきました。長崎大学や樹木医など複数の方々から、巨大台風などの対策のために、木を小さくする必要があるとの指摘を受けました。木を軽くすることで、主幹を守ることが目的です。

 

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内部は空洞化しています(昭和30年)

 

 伸びやかな木、そして霊験あらたかな木の雰囲気を守るために、枝の伐採について私自身が納得をすることに長い時間がかかりました。多くの霊木が倒木していったことを目のあたりにし、もっと守る手段があったはずだという意見を最重要としました。  実際に内部を見ると、幹の空洞化が激しく、多くの部位が腐敗しています。この治療をします。また、長年の道路で固まってしまった土壌を改良が不可欠で、水分の浸透、肥料の注入も容易にできるよう、周辺部のインターロッキングや土舗装などを行います。  

 

 そして、最大の課題が、楠の葉、落木などの争議を回避するために、隣地の確保です。空洞化の状況や今後の樹勢からすると、万が一の時には南西方向へ倒れる可能性があります。  お寺にとってはたいへん大きなできごとです。樹齢500年のクスノキを、次の世代にも、そして1000年先の人々にも親しんでいただけるように、守っていきたいと願っています。

 

 折に触れて、お知らせを行いますね。

 

#ksnk1000prj