昔、たいそう繁盛しているお店の、親切でしとやかで、評判のよい女主人がいた。そこで働いていた男が、あるじの親切な姿が本心なのかを確かめたくなり、なかなか起きずに、昼頃にようやく顔を見せることで試すことにした。女主人はくり返し遅刻をする男に機嫌を悪くして「なぜこんなに遅いの」と、とがめたら「一日や二日遅くても、そんなに怒るものではありませんよ」と、言葉を返したので、ますます怒った。男は次の日も遅くきた。女主人は怒り心頭、とうとう棒で男をうってしまった。棒でうつことだけが知れわたり、女主人は良い評判を失ってしまった。 (仏教聖典)
静かな心を持ち、しあわせに楽しみの中で生きることは、みんなの願いです。自分の思いや行いがうまくいっている時は簡単にできるのですが、自分の思い通りにならないとき、また、人から試されているときにでも、ゆるがない心を保ちつづけることができるか?これが、しあわせを左右します。
お釈迦さまは、生きるものを殺さず、盗みをせず、節度のない行いをせずに「身」を清めること。いつわりや悪口、二枚舌やむだなことを「口」にしないこと。むさぼり、いかり、よこしまな「心」をもたないこと。一見するとあたりまえのようですが、守ることがとてもむづかしい、十の善いきまりを心がけるようにしめされます。
自分の思いどおりと感じる時は、必ずその思いを受けてくれる人がいます。意見が通ったときは、誰かが我慢をして、助けてくれています。
共に生きる世の中です。我慢のない暮らしはなく、我慢の中からこそ、しあわせが生まれます。