正月の水仙


 凛とした姿と豊かな香りを持つ水仙は、陰の花(冬の花)の中でもその美しさは格別で、お正月を彩るお花です。生花で水仙を生けるには、袴と呼ばれる根元の白い部分を外して、花と葉の高さや向きを整えて組み直して戻します。草木そのものが持っている、あるがままの美しさ(出生美)を、時や空間に応じてさらに綺麗に見せるための手法です。

 お正月頃の水仙は、まわりの他の草花が静まる中でも、寒さに耐え忍びつつ花を咲かせています。その力強さがめでたく、生花では、立春までは他の花と混ぜず一種で生けるという決まりがあります。そして春を迎えるとまわりの草木にまぎれながら花が終わり、土に戻っていきます。

 

 私たちが生きている世界を「有為」(うい)といい、生まれては変化し、やがて滅する無常であることを意味します。何かが原因となって相応の結果が生まれる世界です。対して、因果から離れ、変化することのない世界を「無為」(むい)といいます。

 

 生花は、形あるものの美しさを際立たせるために手間暇をかけ、人の手を通して作品をつくりあげます。しかし、そのお手本となるのは、因果に囚われることのない大自然の摂理です。

 生花の始まりは仏前への供花とも言われています* が、それは「有為」をこえて「無為」をめざす道であり、生まれては滅する変化に一喜一憂することなく、おおらかに受け入れることができる世界が広がっています。咲きほこる花の美しさだけを競うのではなく、つぼみに未来をかさね、新芽や老木にも生命の姿を感じる精神を養っているのでしょう。

 

般若心経に「不生不滅」とあります。生まれること、滅することだけに気を取られずに、今この時を安心して生きていることの尊さを大切にする生き方です。

 自分らしく、そして、めでたき人生であるために、自分が為すべきことを良く考えていきたいです。

 

* 西暦586年、聖徳太子が京都六角堂を建立し、初代住職を小野妹子が務め、仏前に花を供えたことから、いけばなが始まったと伝えられます。住職の住まいが池のほとりにあったことから「池坊」と呼ばれています。