百八回の除夜の鐘を、今年は一人で30分かけて撞きました。いつもは境内が400人ほどの人で溢れ、準備から多くの方にお世話をいただいていましたが、みなさんにご家庭で年越しをお迎えいただきたくて、住職一人の静かで寒い年越しとなりました。
私が幼い頃、50年ほど前の除夜は、小学校の吉田寛先生が焚き火の番をしてくださり、地面に「正」の字を書いて数えてくれました。子どもたち20人ほどが火を囲んでおしゃべりをしたり、地面に絵を描いたりしながら、順番に撞いていました。たまに酔ったおじさんが現れて怖い思いをしたり、夜ふかしをしてなんとなく大人になったような気分でした。
時代と共に、多くの方が訪れるようになり、にぎやかで良いことがあれば、若い人が荒れて物が壊れたりと心配なこともありました。そういう昔のことを懐かしく思い出し、また、コロナ禍で一変した暮らしを案じながら撞き始めました。しかし、感傷もつかの間、真言(短いお経)を唱えながら鐘を撞き、数を間違わないように、寒さにかじかむ指で数珠を繰ることで精一杯です。
数を数えるにはお数珠を使います。百八個の珠が糸で繋がれている修行の仏具です。真言をお唱えしながら、ひとつひとつ繰っていきます。闇の中でも千回、一万回と数えられるように作られています。修行に入った頃は決められた数に至るまでが、永遠に終わらないように感じます。苦しくてたまらずに、ズルをして早く終わっても、数時間後には同じ修行が再び始まるだけです。何をやっても毎日は変わらないということが明らかになると、焦る気持ちがなくなりました。すっかりと「明らめた」心になり、目の前のすべきことのみが見えてきました。
コロナ禍は長く続きます。しばらくは、お互いの健康を祈り、自分のすべきことを行い、ゆっくり眠ることを繰り返すことに、幸せを見つけていきたいですね。そして、再び豊かに人付き合いができる世の中となるように、お祈りを続けていきます。