平戸藩に伝わる元旦の朝の作法では、玄関はともかく、障子すら開けてはなりません。朝を迎え神棚、仏壇を拝みます。家族が座敷に集まり、お茶とおてがき(お菓子セット)を一人づつ配膳し、新年の挨拶を行います。次にお屠蘇(年齢順にいただきます)、お雑煮(白菜とお餅のみ)、歯固め(干し大根の梅酢漬)と順にいただき、最後にお節料理を食します。
これらの元朝儀式が終わって、はじめて障子を開け、玄関を開きます。家長が刀で木を一本落とし、午後からはお台所で包丁が使えるようになります。また、お掃除(掃き出すこと)もしませんし、お風呂に入る(洗い流すこと)もしません。新年を迎え福の神が家に居続けてくれるように、考えぬかれたものでしょう。
縁起担ぎといえばそれまでかもしれませんが、家族が集うことは、明日もわからぬ人生で、かけがえのない大切な時間でした。新年早々に、火や包丁を使わないというルールは、家事という労働を減らす方便です。深夜12時を起点に新年を迎えるという感覚は、ごく近年のものです。昔の感覚では、夜中に起きていることは暖をとることも難しく、子どもやお年寄りには厳しく、さらには闇の中で移動をすることは命の危険にさらされることでした。
近代化は、時間を問わず季節も超えて、動くことができる社会をつくりました。何でも昔がよいとは思いませんが、ふとした言い伝えなどに、自然の摂理に応じた無理なく持続可能な社会があったことを感じます。お日さまはすべての人に向けて出てきますし、神様、仏様もずっとあるべきところにいらっしゃいます。ゆっくりとした年明けを迎え、良い日和にお参りなどをいたしますか。