「おもてなし」という言葉があります。人の関係をあたたかくするたいせつな行いです。
本来「おもてなし」とは、相手をおもんぱかり、心地良くしていただくために、言葉に出さずに、ひそかにするさまざまな行いのことです。サービスという言葉には、主人と従う人の関係がありますが、おもてなしのつながりは、一方的に相手を消耗させてしまうことはありません。おもてなしを受ける側が、その気づかいを察して感謝をすることで、人間関係が完成されていくのです。
流行語としておもてなしの心と使われた結果、ずいぶんと安っぽい言葉となってしまった気がします。いつからか、人から何かをしていただくことが「あたりまえ」となり、他人のあらを探す人、かまってもらわないと気がすまない人が増えました。せっかくの一生です。できる限りは、おたがいさまのこころを持ちたいです。
お釈迦さまの最期のお話です。お釈迦さまの説法に感激をしたチュンダという方が、たくさんの料理でおもてなしをしました。しかし、そのキノコ料理がもとでお釈迦さまは腹痛に襲われます。しかし、お釈迦さまはチュンダのおもてなしを最後にいただくことで、完全なさとりを得て涅槃の境地にいたることができる感謝を告げます。
私たちが良かったと感じることは、他人から与えられるものではなく、自分の気づきの中にあります。世の中のすばらしい「おもてなし」を消費せずに、しっかりとおかえしができる年齢の重ね方をしたいものですね。