9月20日(金) 11:00~12:00
秋のお彼岸法要では、最近耳にする言葉として「エンディングノート」をとりあげ、その接し方をお話いたします。
万一の時に、混乱がないようにと自分のことを書きとめておくエンディングノートというものがあります。自分史をメモするには便利ですが、市販品に目を通していくと、介護を誰にして欲しい?葬儀は?納骨はどこ?という項目が並んでいます。これを、感情のまま書き残すとどうなるでしょう。
お世話になるなら嫁さんより娘が楽です。娘も相手方の家では嫁さんです。嫁が実家の世話ばかりだと姑さんの気分が悪くなります。それが倍の話となり旦那の兄弟に伝わります。嫌気がさした嫁さんはせめて最後は実家の両親の元にと考えます。でも墓を守っていくのは子ではなく甥っ子なんだよなぁ・・・。
このように個人の感情を並べたてると、争いが絶えることがありません。
また一人で暮らしている場合、本人は迷惑になったら悪いと考えがちなのですが、せめて最後は親の元で、小さな頃からお世話になったおばさまくらいはしっかり拝んでいくよ!という、甥っ子の良心づくりのきっかけとなるかもしれませんね。
今は子育てで手一杯の世代も、20年も過ぎると老齢期に入ります。一家の主として、ものの考え方も変わっていきます。
現在しか見ていない「我が我が」の書き残しは、家族の心の負担につながります。生きながら仏の心(さとり)に達することは難しいので、せめて亡くなった後は円満におさめようとするのが供養の心で、未来の人々が自ら考え行う行事です。
暮らしぶりも人間関係も人それぞれです。耳心地の良い「迷惑をかけない」という言葉がどれほど間違いを含んでいるのか、そのあたりのことをよくよく考えるべきなのです。