きづな

 

 一年を表す漢字として「絆」が選ばれました。人と人の結びつき、助け合う心を示すあたたかい言葉として使われていますが、この漢字のもともとの意味は、動物をつなぎ止めておく綱とあり、不自由な意味合いを持ちます。


 震災五日後、島瀬公園で街頭募金をしました。道行くすべての方が足を止め、二時間に満たない間に三十万を超える義捐金が寄せられ誠に有り難いことでした。人を案じ思う心は、私たちに本来そなわっています。号令をかけ目標とすることなく、結果として受け止めるべきです。聞こえがよい言葉は、時として個人の自由を束縛したり、誤りをかき消すために利用されることもあります。
 
 人の好みや善し悪しの感覚は、さまざまであることを理解すべきです。さらには、他人にはわからない都合を抱えながら生きています。人がしっかりと結びつくためには、まずは個々がしっかりと認め合い、「自由」に生きることです。自由とは気ままにではなく、「自ずからに由る」つまり自らの判断を求められます。しかし、自分の姿は見えにくいものです。「自分が自分が」という心が強すぎると他とぶつかり、心に迷いや怒りが生まれます。「どうせ自分なんて」という心を持ってしまうと、前に進めなくなります。
 
 さらには、歳とともに自分の心は変わっていきます。「我を捨てなさい」と理屈を簡単に云う人もいますが、それは、たいへんな修行をした仏さまのさとりの境地であり、容易く実践できるものではありません。「自由に生きる」ことの難しさは当然といえます。ですから、自分がわからないと、悲観することはありません。自由にならないともがかなくてもいいのです。すべての人は常に迷いながら暮らしているのです。迷うからこそたくさんの経典が伝わり道が示されます。座して拝み、教えに静かに耳を傾けることも必要です。
 
 人は本来は清浄であるのに、欲にとらわれ惑わされます。他人を蹴落とすことでしか、自分を見いだせない人も増えています。泣いても笑っても怒っても一生です。そして、一人では生きられない一生です。世間的な価値観を少し超えた「楽」を感じた上で、しずかに絆が深まる世の中でありたいです。