歴史散歩

 中里地区はその名称の り、市内でももっとも古い歴史をもつ町で、郷土史を学ばれる方は必ず訪れます。夏休みになると多くの子供たちが、ノートを抱えてお寺を訪ねて来ます。山と川、そして古代では海が迫っていたこの場所は、近年発掘された四反田遺跡からもわかるように古代時代から人が住むことに適していたと思われます。中世には宗家松浦氏が進出し、その後平戸松浦氏との戦の中心となり、江戸時代には平戸藩の郡代役所が寺の隣に置かれ現在の佐世保の中心地として栄えた町です。

 東漸寺は和銅年間(七〇八年頃)行基菩薩により開創された岩問山薬師堂を奥の院とし、寛和二年(九八六年)僧観海により当地に開基されました。鎌倉から室町期、この地域は宗家松浦氏が領分として、東漸寺はその菩提寺として隆盛したものと思われます。戦国の世となり、宗家松浦氏と平戸松浦氏は戦を繰り返し、中里は戦火にのまれました。寺物もこれより前のものは、本尊薬師如来と数体の仏、住職の墓石の一部が残るだけで残念ながらほとんどが焼失しています。江戸時代となり平戸藩藩政下で、平戸藩祈願寺として再興され、相神浦七ヶ村を領分とし、愛宕地蔵尊及び飯盛神社の 当職としての役目を任ぜられ、この地域きっての格式を持つ寺院となりました。現在この再興から三十五代を数えます。

 ご本尊は薬師如来さまで、室町時代の作と伝えられます。平戸藩主煕公の寄進による山門横には、樹齢約六百年の「大楠」があり、県天然記念物に指定されております。また市文化財として、「宗家松浦十三代盛公(武辺城主)の墓碑」、江戸時代初期の青銅鏡である「魔鏡」があります。

 明治維新、廃藩置県、そして廃仏 釈の風潮と社会の大きな変革により、一朝にして廃寺の憂き目に遭いましたが、地域の篤いご信仰に支えられ、明治十三年、本堂の再建と共に再びよみがえり、現在に至っております。