すでにお経を唱えているのに、なぜ途中で経を開くと書いてあるのかと以前に聞かれたことがありました。前回まで数回に分けて懺悔文から三昧耶戒真言までをご説明しましたが、これらはお経と云えども、自分自身の心を省み、仏さまのように安らかな心をめざす、誓いでありました。この開経偈以降が、仏さまに対して捧げるお経となります。ですから一つの節目として、経を開く偈文を唱えます。どんなに長い時間が過ぎようと、なかなか得ることが出来ない、最高に幸福に生きるための道である「仏法」を授かることが出来た喜びと、安心に満たされた心に感謝するためにの法楽を捧げるのです。その功徳により、さらに仏さまの力が自分の中に生まれ、守られるのです。
無上甚深微妙の法は、百千萬劫にも遭い遇うこと難し、我れ今見聞し受持することを得たり、願わくば如来の真実義を解し奉らんことを