お正月を過ごす

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おてがき(お手がけ) お菓子としてのお年玉です。世の東西を問わずに、お祝いにお菓子は欠かせません。師走に入った頃から、お正月に向けたお菓子を選んでいきます。準備をするところから、愉しみが始まっています。


 平戸藩に伝わる元旦の朝の作法では、玄関はともかく、障子すら開けてはなりません。朝を迎え神棚、仏壇を拝みます。家族が座敷に集まり、お茶とおてがき(お菓子セット)を一人づつ配膳し、新年の挨拶を行います。次にお屠蘇(年齢順にいただきます)、お雑煮(白菜とお餅のみ)、歯固め(干し大根の梅酢漬)と順にいただき、最後にお節料理を食します。

 これらの元朝儀式が終わって、はじめて障子を開け、玄関を開きます。家長が刀で木を一本落とし、午後からはお台所で包丁が使えるようになります。また、お掃除(掃き出すこと)もしませんし、お風呂に入る(洗い流すこと)もしません。新年を迎え福の神が家に居続けてくれるように、考えぬかれたものでしょう。

 

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お米に橙とユズリハをのせた床飾り。代々譲るという縁起物で、お米は七草と小正月のお粥に使います。


 縁起担ぎといえばそれまでかもしれませんが、家族が集うことは、明日もわからぬ人生で、かけがえのない大切な時間でした。新年早々に、火や包丁を使わないというルールは、家事という労働を減らす方便です。深夜12時を起点に新年を迎えるという感覚は、ごく近年のものです。昔の感覚では、夜中に起きていることは暖をとることも難しく、子どもやお年寄りには厳しく、さらには闇の中で移動をすることは命の危険にさらされることでした。

 

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辻占せんべい(フォーチューン・クッキー)は家族団欒のもとにもなります。平戸の辻占は残念ながらなくなりましたので、金沢から取り寄せています。平戸と金沢、そして京都は習慣や言葉が似ており、日本海を通じた船での往来を感じます。

 

  近代化は、時間を問わず季節も超えて、動くことができる社会をつくりました。何でも昔がよいとは思いませんが、ふとした言い伝えなどに、自然の摂理に応じた無理なく持続可能な社会があったことを感じます。お日さまはすべての人に向けて出てきますし、神様、仏様もずっとあるべきところにいらっしゃいます。ゆっくりとした年明けを迎え、良い日和にお参りなどをいたしますか。

受け手のこころ

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敦煌莫高窟57窟菩薩


 小学1年生の時、両親から寝る前に玄関の外に自分のバッグを出しておくように言われ、朝になるとそのバッグには、まんまと戦車のプラモデルが入っていました。うちは寺なのでサンタは来ないと作文に書いた(らしい)私を不憫に思った先生の配慮でした。サンタが来たのはそれっきりで、次の年からは夏の寺行事のお手伝いをすると、玩具を買うことができるというシステムに変更されました。

 さて、今年最後の少年院での授業。クリスマスをこんなところで、さらには坊さんの話を聞いて迎えるなんてとても寒い経験です。それで、10℃という気温は寒いのだろうか?ということをみんなで考えてみました。

 山の水は年間を通じてある程度一定です。滝の修行を夏にすると、かき氷を踏んだように冷たく、冬に雪をかき分けたどり着いた滝つぼは、温泉のように温かく感じました。19歳で半ばいやいやと、目の前のことだけをやり過ごしていた頃で、滔々と落ちる滝は変わりなく、恐々とする私は、とてもちっぽけで勝手ばかりの人間でした。それから10年後、同じ滝で修行をした時に、楽も苦しみも他からもたらされるものではなく、受け手の感覚によるものなんだと感じることができました。

 では、4℃は暖かいのか、寒いのかって?それはまた違う話のようですが、受け手の大きな心が、この困難な時代を良くしていく道だと信じています。メリークリスマス。

 

年末年始の対応について

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年末年始の夜間参拝は中止します。


除夜の鐘、年越しの法楽ともに、寺内のみで行います。youtube、インスタグラムで配信を行う予定です。

ご参拝やお守りの授与は、日中に本堂へお参りください。お堂の窓はあちこち開けていますので、暖かくしてお出でください。

新型コロナ感染症の用心はもちろんのこと、風邪をひくこと、けがをすることなどのリスクをなるべく少なくすることで、医療に携わる方々の一助となればと願っています。

全世界が幸せであることをお祈りします。合掌

 

開山忌報恩講

12月6日(日曜日)

午前9時30分 午前11時 午後1時(3座行います)

師走を迎え、お寺でお経をおあげし、月輪観・一人でできる心の整え方 のお話をいたします。ご先祖供養と共に一年を省みて、人々の幸せをお祈りする時間としてください。

 

 美しい満月をながめ、その月を心に抱いていると観じます。月がしだいに大きくなるように想像します。自分を包み込み、さらに周りの人も一緒に包まれ、町も国も満月輪の中に一緒だと感じます。

 

 嬉しいことも、理不尽なことも、悲しみも同じ満月の中に一緒です。お大師さまが伝えた月輪観(がちりんかん)といわれる心を整える修行法の一部分です。

 

 自分の心が丸く広くなるように意識をすることで、少しでも楽を感じることができると良いですね。

 

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興教大師御影 板絵

 

 開山忌は興教大師覚鑁上人の御祥忌です。弘法大師が入定されてから約三百年後、弘法大師の、み教えを大切に守り伝える努力をされた方です。

 

 お生まれは現在の佐賀県鹿島市。蓮厳院という寺で幼少に修業をされ、京都仁和寺、高野山へと上り、学問所の創建を軸に、人々の教育に努められました。時代は、京の都での平和が終わり、「武者の世」がはじまる転換期です。そこを生きた興教大師が残されたことは、「心からお祈りをする」という大切さであり、「自心を深く観る」時間をもつことでした。

 

 康治2年12月12日に入滅をなされましたので、12月は報恩講として拝んでおります。

 

 現代も大きな転換期です。私達は世の風潮に踊らされることなく、自分を見失わないよう心がけねばなりません。お寺での心静かなお祈りの時間を保つことが、その一助となりますことを願い、伽藍をととのえております。

 

 お寺では供養や祈願のあり方を、伝統と新しい生活に合うことに配慮をしながら共に考えてまいります。どんなことでも、お気軽にお尋ねください。

秋のお彼岸法要

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秋のお彼岸法要

令和2年9月19日(土)から22日(火)
午前10時から30分間ほど、お勤めを行っております。

本堂は開放しておきます。ご体調が良く、お経の時間においでになりたい方は、ご自由にお参りください。

*ご法礼受付は対面で行いません。お焼香台に各自お包みいただければ幸いです。

 

 秋のお彼岸は秋分の日を中日として前後三日間、計一週間にわたって行う修養期間です。いのちあるのは「ほとけさまのおかげ」であることに感謝の心を捧げます。

 生死の此岸(この世)から涅槃の彼岸(悟りの世界)にいたることを「到彼岸」といい、六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)という心の持ち方を目指します。具体的に六種類の供養(浄水・塗香・花・焼香・飯食・灯明)を実践することです。

 

布施 惜しまず与える

   ◎浄水は布施、万物をうるおす水は、

   仏の慈しみの徳。

 

持戒 十善戒を守る

   ◎塗香は持戒、清い手、身体で、

   仏のきまりを守ります。

 

忍辱 耐え忍ぶ

  ◎花は忍辱、花を観ると和み、

   腹立つ心は消えます。

 

精進 正しい努力をする

  ◎焼香は精進、真直ぐ立ち上る香のように

   生きたいです。

 

禅定 精神を統一する 

  ◎飯食は禅定、おなかいっぱいで、

   心も満たされます。

 

智慧 物事を正しくみる

  ◎灯明は智慧、智慧の光明で、

   世の中を照らします。 

 

 

 お彼岸は、春はぼたもちを、秋はおはぎをお供えし頂くという習慣があります。収穫したばかりの夏小豆は粒餡にして、粒の姿が萩の花のようでおはぎと呼び、冬を越し硬くなった小豆はこし餡にして、牡丹の花のように丸く作るのがぼたもちだという説があります。

 小豆は古代からの食べ物です。甘いものは貴重で、人が集まる時に振る舞うことは、最高のおもてなしです。

 

 日が昇る東は生きるものを救う薬師如来、日が沈む西は極楽浄土を守る阿弥陀如来です。秋分のおひさまが、真東から真西に結ばれる様子に、生きる私とご先祖さまが結ばれることを重ねます。

 

 自然と調和し、先祖を敬い、しのぶ日、それがお彼岸の心となりました。

 お寺では、お経をとなえ、仏の教えを説き、ご先祖のご供養と、生き方を考えるひとときとします。