年末年始の対応について

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年末年始の夜間参拝は中止します。


除夜の鐘、年越しの法楽ともに、寺内のみで行います。youtube、インスタグラムで配信を行う予定です。

ご参拝やお守りの授与は、日中に本堂へお参りください。お堂の窓はあちこち開けていますので、暖かくしてお出でください。

新型コロナ感染症の用心はもちろんのこと、風邪をひくこと、けがをすることなどのリスクをなるべく少なくすることで、医療に携わる方々の一助となればと願っています。

全世界が幸せであることをお祈りします。合掌

 

開山忌報恩講

12月6日(日曜日)

午前9時30分 午前11時 午後1時(3座行います)

師走を迎え、お寺でお経をおあげし、月輪観・一人でできる心の整え方 のお話をいたします。ご先祖供養と共に一年を省みて、人々の幸せをお祈りする時間としてください。

 

 美しい満月をながめ、その月を心に抱いていると観じます。月がしだいに大きくなるように想像します。自分を包み込み、さらに周りの人も一緒に包まれ、町も国も満月輪の中に一緒だと感じます。

 

 嬉しいことも、理不尽なことも、悲しみも同じ満月の中に一緒です。お大師さまが伝えた月輪観(がちりんかん)といわれる心を整える修行法の一部分です。

 

 自分の心が丸く広くなるように意識をすることで、少しでも楽を感じることができると良いですね。

 

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興教大師御影 板絵

 

 開山忌は興教大師覚鑁上人の御祥忌です。弘法大師が入定されてから約三百年後、弘法大師の、み教えを大切に守り伝える努力をされた方です。

 

 お生まれは現在の佐賀県鹿島市。蓮厳院という寺で幼少に修業をされ、京都仁和寺、高野山へと上り、学問所の創建を軸に、人々の教育に努められました。時代は、京の都での平和が終わり、「武者の世」がはじまる転換期です。そこを生きた興教大師が残されたことは、「心からお祈りをする」という大切さであり、「自心を深く観る」時間をもつことでした。

 

 康治2年12月12日に入滅をなされましたので、12月は報恩講として拝んでおります。

 

 現代も大きな転換期です。私達は世の風潮に踊らされることなく、自分を見失わないよう心がけねばなりません。お寺での心静かなお祈りの時間を保つことが、その一助となりますことを願い、伽藍をととのえております。

 

 お寺では供養や祈願のあり方を、伝統と新しい生活に合うことに配慮をしながら共に考えてまいります。どんなことでも、お気軽にお尋ねください。

産経新聞・ふるさと富士

www.sankei.com

産経新聞【ふるさと富士】で、愛宕山をご紹介いただきました。
納冨カメラマンの三日間にわたり写真を撮りつづけ、直接記事にはならないと思われる部分まで詳しく取材をされるお姿には、とても感銘を受けました。誠に有難うございました。

動画はこちら

 

www.youtube.com

秋のお彼岸法要

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秋のお彼岸法要

令和2年9月19日(土)から22日(火)
午前10時から30分間ほど、お勤めを行っております。

本堂は開放しておきます。ご体調が良く、お経の時間においでになりたい方は、ご自由にお参りください。

*ご法礼受付は対面で行いません。お焼香台に各自お包みいただければ幸いです。

 

 秋のお彼岸は秋分の日を中日として前後三日間、計一週間にわたって行う修養期間です。いのちあるのは「ほとけさまのおかげ」であることに感謝の心を捧げます。

 生死の此岸(この世)から涅槃の彼岸(悟りの世界)にいたることを「到彼岸」といい、六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)という心の持ち方を目指します。具体的に六種類の供養(浄水・塗香・花・焼香・飯食・灯明)を実践することです。

 

布施 惜しまず与える

   ◎浄水は布施、万物をうるおす水は、

   仏の慈しみの徳。

 

持戒 十善戒を守る

   ◎塗香は持戒、清い手、身体で、

   仏のきまりを守ります。

 

忍辱 耐え忍ぶ

  ◎花は忍辱、花を観ると和み、

   腹立つ心は消えます。

 

精進 正しい努力をする

  ◎焼香は精進、真直ぐ立ち上る香のように

   生きたいです。

 

禅定 精神を統一する 

  ◎飯食は禅定、おなかいっぱいで、

   心も満たされます。

 

智慧 物事を正しくみる

  ◎灯明は智慧、智慧の光明で、

   世の中を照らします。 

 

 

 お彼岸は、春はぼたもちを、秋はおはぎをお供えし頂くという習慣があります。収穫したばかりの夏小豆は粒餡にして、粒の姿が萩の花のようでおはぎと呼び、冬を越し硬くなった小豆はこし餡にして、牡丹の花のように丸く作るのがぼたもちだという説があります。

 小豆は古代からの食べ物です。甘いものは貴重で、人が集まる時に振る舞うことは、最高のおもてなしです。

 

 日が昇る東は生きるものを救う薬師如来、日が沈む西は極楽浄土を守る阿弥陀如来です。秋分のおひさまが、真東から真西に結ばれる様子に、生きる私とご先祖さまが結ばれることを重ねます。

 

 自然と調和し、先祖を敬い、しのぶ日、それがお彼岸の心となりました。

 お寺では、お経をとなえ、仏の教えを説き、ご先祖のご供養と、生き方を考えるひとときとします。

菩提行願不退転

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智積院第62世化主 芙蓉良順猊下 御染筆

さとりへの修行も願いも けっして退くことはありません

仏の心を持つことができたならば そうそう悪い方へ向かうことはありません

 

三種生は、エニシダ アレカヤシ 菊

供養について

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 供養という言葉の本来の意味は「尊敬」です。仏さまを尊敬するから供養すると表現します。先祖や亡き方へ敬意を示すことも供養をしていると言い表します。生きるもの同士も敬い合うので供養をしているのですが、これは尊敬すると言いますね。日本では先祖供養という言葉の印象があまりにも強かったからでしょう。

 

 私たちは、両親を始め先祖に対する尊敬心をもって生活をしています。縁ある人々のおかげさまに気づき、真心から感謝することが先祖への供養になります。自分の身上に病気や怪我など、不幸と思うことがあると、これは先祖のたたりだとか、先祖が供養を欲しがっているとか、やたら先祖に、その原因を作り上げる人がいます。先祖供養は、させられたり、してやったりするものではありません。自分がしているのです。いや、させてもらっていると受け止めるべきでしょう。

 

 自分の命の根源に正しく供養できる人は、今を生きていることの喜びと、今後の幸せを十分に感じる事ができます。それが功徳といわれる仏さまからのお恵みです。

 

 供養の基本は、仏(ほとけさま)法(仏の教え)僧(修行をし勉学に励み施設を守る人々)の三宝を大切にすることから始まりました。聖徳太子は十七条の憲法で「篤く三宝を敬え」と記し、東大寺を造った聖武天皇は「朕は三宝の奴なり」といわれました。

 

 では供養するとは、具体的にどのような行為なのでしょうか。それは、ほとけさまに対して、もろもろの供物を真心から捧げることです。供物は、浄水、塗香、生花、焼香、飯食、灯明の六種の供養が基本です。衣服を施し供物を供える利供養、寺院の装飾や仏具を奉納する敬供養、読経・掃除・作業などの修行をする行供養の三種もあります。こうした「お供え」の心を根底にして、私たちはお年忌などの追善供養、卒塔婆供養、施餓鬼供養、開眼供養などを行っています。

 

 困ったこと、苦しいこと、悲しいことがある時は素直に仏さまに、すがって、これらを取り除いていただきましょう。これを祈願と言います。祈願の方法に護摩祈祷があります。これも、火の中へ五穀などの供物を投じ、仏さまに供養し、お祈りをしている供養法です。