花まつり 誕生会

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花御堂のお釈迦さまを拝みます


4月12日 花御堂にお釈迦さまをおまつりしています。甘茶はありませんので、手を合わせて拝んでいただきたいです。


本年は、時間を決めて法要は行いません。

状況を踏まえて、お祈りをしておきたい方は、お参りください。

 

赤ちゃんの健康と子育成就をお祈りするお加持会は、個別に時間を決めますので、お電話ください。

花にちなんで

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ご本尊 薬師如来が持つ薬壺(やくこ)  薬を与え病を除き、苦しみを癒やし、寿命を延ばそうと願うお姿です。ご真言は「おんころころせんだりまとうぎそわか」苦しみの時、繰り返しお唱えください。

 

 先が見えない毎日となりました。恐れを抱くことは、身を守るうえで大切です。危険と思われることをなるべく少なくする努力が必要です。

 お寺のお薬師さまは、千年の歴史の中で、私たちのご先祖の喜びと悲しみを、ずっと見守ってきました。その長い年月と比べるならば、月日の予定が立たないことは瞬間のことなのかもしれません。この春の花を楽しむことができなかったとしても、一生すべてが台無しになったわけではありません。ただ、少しばかり先の長い坂道を、歩んでいかなかればならないようです。花にちなんだお釈迦さまの言葉があります。

 

 他人の間違いを見ない。他人のした

 ことと、しなかったことを見ない。

 ただ、自分のしたことと、しなかった

 こととだけは、しっかりと見るべき。

 

 うるわしく、あでやかに咲く花でも、

 香りの無いものがあるように、

 善く説かれたことばでも、

 それを実行しない人には実りがない。

 

 うるわしく、あでやかに咲く花で、

 しかも香りあるものがあるように、

 善く説かれたことばも、それを実行

 する人には、実りがある。

 

 うず高く花を集めて多くの花飾りを

 つくるように、人として生まれ

 またいつかは死ぬ定めがあるならば、

 多くの善いことをなせ。

 

 花の香りは風に逆らっては

 進んで行かない。

 しかし徳のある人々の香りは、

 風に逆らっても進んで行く。

 徳のある人はすべての方向に薫る。

 徳行ある人々の香りは最上であって、

 天の神々にもとどく。

 

 徳行を完成し、つとめはげんで生活し、

 正しい智慧によって心安らかな人は、

 悪いものが近づくことはない。

 

手を洗うことで危険が遠のくように、心も洗うことで安心を得ます。共にいたわりあう心を得るには、今までの「ものさし」とは違う長さで考え、行動することです。お経を唱え、写経を行い、心を見つめ、世界平和を願い、先祖を尊び、互いの健康を祈り続けましょう。

お檀家のみなさまへ

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 弘仁9(818)年、都で疫病が流行し、嵯峨天皇弘法大師空海のすすめで般若心経を写経され、苦しむ人々の平癒を祈りました。この故事にあやかり、お檀家の皆さまに写経用紙をお届けしました。お楽しみいただき、ご利益があることを願っております。

 

 さて、寺行事は集まらずに、拝むことができるように変更しております。ご本尊さまにお祈りし、ご先祖を大切にする心が、お互いを思う心につながると信じております。しかしながら、寺参りは状況に応じて、無理をなさらずに、気持ちが良いと感じる時になさってください。東漸寺ではお位牌堂に毎朝お霊膳をお供えし、供養を続けておりますので、どうぞご安心ください。

 

 年忌について、本堂での法要はしっかりと行いますが、他人を含む大人数のお斎(食事)は見合わせるべきと思っております。先日、遠方の家族が移動できずお参りできないと悲しんでおられました。離れていても、家族と心を共にして手を合わせられます。ご希望でしたら、どこからでもお勤めに参加できるようライブ配信もいたします。できる限りの行いで、ご先祖へお気持ちを伝えましょう。

 葬儀の参列者が発症したという報道がありました。例えば、通夜は住職と身内だけで早めにお勤めをして、みなさんには随時と案内しておけば、各自お別れしてお帰りいただけます。葬儀の本質は弘法大師から伝わる引導の儀式と読経を住職が行うことです。参列者の皆さまは、危険を作って密閉した空間に居続けなくとも、心を込めて焼香をすれば良いでしょう。

 

 祭壇や見栄え、飲食に工面するのではなく、家庭の雰囲気に合った供養の本来の意味をとりもどす機会だと感じています。不安なことがありましたら、お寺にご相談ください。

 

 戦争が迫りくる頃、作家の広津和郎は、「どんなことがあってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、生き通して行く」と説きました。この言葉のひとつひとつを大切にして、この困難な世の中を歩んでいきましょう。 合掌

 

          東漸寺 住職 奥島正就

 

 

春のお彼岸法要

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ご本尊 薬師如来 病気平癒を祈り、世の中の平和を願ってきたほとけさま。700年ほど昔に刻まれた九州仏で、かわいい笑みが特徴的です。仏さまの姿は、自分自身の本来的な優しさ、清らかさを、目覚めさせ観じさせます。壁紙サイズにしておりますので、暗いニュースが続く毎日、心を静めるお守りとしてください。

 

 手をあらうように

いつも心をきれいにしましょう

ご本尊さまを拝み

ご先祖の前を清らかにいたしましょう

 

 お彼岸とは、私の生活が仏さまのようにやすらかで幸せに過ごしているかを、かえりみるための行事です。

 ご先祖さまから見れば、残した子孫が幸せに暮らしていることが最高の喜びであります。私からしても、心の円満なしには供養を行うことができません。

 うつろう季節のように苦楽ある人生、かえりみる心を持つことのみが、良い生き方へとむかいます。

 

令和2年3月17日(火)から20日(金)
午前10時から30分間ほど
住職がお勤めを行っております。 

 

  私たちの心が平静でありますように、ご先祖のお魂が安らかでありますように、ご本尊薬師如来さまへのお勤めだけは住職が変わらずに行います。

 

 本堂は開放しておきます。ご体調が良く、お経の時間においでになりたい方は、ご自由にお参りください。

 

 除菌アルコールが手配できずにおりますので、各自清めてご参拝ください。各ご法礼受付は対面で行いません。お焼香台に各自お包みいただければ幸いです。お斎(とき)は行わずに自由に散会とします。

 

あたたかいご飯

 更生施設で道徳授業のお手伝いをしています。道徳といっても、いかにかっこいい大人の男性になるかを一緒に考えていく話をします。どうすればモテるかを私なりに語るのですが、今の若い人たちには失笑をかうことが多いので、あんまりかっこいいとは思ってくれていないようです。それでも、授業の感想文を見ると、わずかばかりは賛同もしてくれているようなので、かれこれ15年ほど続けています。

 

 少年たちは間違いを起こす前に、家族で過ごす時間は少なく、学校にも居場所がなかったと語ります。給食を一緒にしながら話すと、こうやって家族でご飯を食べたことはなかったという子はとても多いです。

 

 それでも、作文には被害者や家族への償いの心など切ない思いを書いています。意見発表会では、母親に迷惑をかけた、悲しませてしまったと神妙な顔で語ります。

 

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*1

 

 あたたかいご飯をいただくと、満腹になり、心が安らかに平らかになります。生命あるものには食べ物が必要です。お互いを大切に思うからこそ、ご飯を提供しますし、おもてなしを受けたりします。私たちはみんな、自分を認めて欲しいという願いを持っています。それがかなえられない時に、人はだれでも思わぬ行動をするのです。

 

 仏さまには、日々仏飯をお供えをします。けっしてご飯が減ることはありませんが、とても大切なことです。お供えをすれば、自然に手を合わせます。ご先祖あっての私であることを感じます。自分の生命の根源を認めることで、私自身がほかの生命を認めていく心が育ちます。

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 お寺では朝にごはんを炊いてお供えをして、昼には下げています。お一人暮らしでは定期的にご飯を炊かないこともあります。炊いた時にお供えをしても良いし、あるいは、電子レンジで温める時に、仏さまの分も合わせても良いでしょう。ご飯の数の基本は、ご飯とお茶を一つづつです。自分に身近な方が亡くなった場合は、一つ足しても良いですね。とはいっても、ご先祖の数だけ全部でなくてよいのです。

 

 あたたかいご飯をご先祖にも大切な人にも。そして私にも。お腹をいっぱいにすることで、きっと幸せがつながっていきます。

 

 自分自身にはあたたかいご飯がなかった少年たち。辛かった分だけ、将来の大切な人には、そういう思いをさせないようにしてくださいとお願いをしています。

 辛かったこと、苦しかったことは、自分の力で断ち切って、楽に生きていく道をつくっていこうと語っています。どこかでちょっとばかり我慢しながら生きて生きていった時に、なにか見えてくるものがあることに、気づいてくれないかなと思っています。

*1:お写真は御檀家様の三七日のお参りの後のお斎(とき)。親戚の方々も集まり心を込めてお食事を作り、共にいただきます。お食事をしながら、今後のことや供養のあり方などお喋りをしながら過ごします