黄ばんだマック

  1993年は憧れのマッキントッシュというコンピューターが身近になった年でした。お家にやってきた一体型のLC520はモニタが大きく頭でっかちで、SE/30やクラッシックのように格好良くはありませんでしたが、内臓ステレオスピーカーからの起動音は田舎の寺に未来が来たことを感じるには十分でした。ハイパーカードで勉強をし、アルダスページメーカーで寺新聞を作り、ファイルメーカーでデータベースを実践していました。

 

 しばらく使っていると、クールなはずの筐体が黄ばんできました。なんということでしょう。磨き粉や洗剤などを使って磨いてみたりしたけどキレイにはなりません。未来への使者は意外に人間味があるなぁなんて感じるほど私のココロの修行も足りておらず、ただただ、残念な気持ちになっていた思い出があります。

 

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 それから25年が過ぎ、黄ばんだ筐体に見せるシールをマックブックに貼り付けて悦に入っている自分がいます。我ながら、誠にご苦労さまなことです。

 

 大好きなモノ(あるいは人)の変化は、苦しみとなっていきますが、時が過ぎると喜びにも成り得るのですね。苦楽はそのモノが決めているのではなく、自分の心の持ちようです。宝物が手の中にある間は喜びで心が満たされますが、落として割れた瞬間に悲しみや怒りへと変わることも同じような理屈です。

 

 人生を振り返ってみると、思い通りになったことよりも、そうならなくて苦しんだことが懐かしく記憶に蘇るものです。その時の工夫や努力は何かのカタチで生きてくる可能性が高いのです。ちょっと不自由かなって思っても、楽しんでいきましょうよ。

桜の花

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 今日は少しだけお手伝いをしている更生施設の観桜会。少年たちと一緒にお昼をいただき、レクリエーションをして過ごします。残念ながら昨晩からの雨に、桜はほぼ散ってしまいました。

 

はじめに施設長さまのご挨拶

「今日は目の前にもう桜はありません。しばらく瞳を閉じてください。

そして、今までに見た桜の花を思い出してみてください。

一人で見た桜、家族で観た桜、もしかしたら、桜の下でも悪いことをしたかもしれませんね・・・。

もうしばらくの間、心の中の桜を見つめてください」

 

「思い出してみた?」と食事をしながら隣の少年に聴くと、

「思い出せないです、何やってたのか」と。

「今年のはどうかな」

「必ず覚えておきます」

「いいよ、そんな真面目なこと云わなくても、私は先生じゃないし」

 

そんな他愛もない話をしながらご飯を一緒にする春の午後。

ゼスチャーゲームで「羽生結弦」を表現するのは、

私も少年も、とても難しかったです。

 

 

クスノキ千年計画のはじまり

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 東漸寺の大クスは樹齢およそ500年といわれ、いや、50年前にもそう云われていましたから、正確に言うと550年となるのでしょう。そういう人間の細かいこだわりなど忘れるくらい大きく、伸びやかに枝を伸ばす巨木です。幹周9メートル、樹高20メートル。その長い樹齢の中には多くのできごとがありました。

 

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昭和15年のクスノキ

 

 明治維新で廃寺となった東漸寺を復興する時に、クスノキを材料にすることが検討されました。意見は二分して、木を守る方々がお檀家をつくり、明治13年に現在の本堂が建ちました。

 

 昭和20年、樟脳を取るために供出するように打診がありました。長崎県庁に保護を求め、供出を遅らせる助言をいただき、そのうちに終戦となりました。

 

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県庁よりいただいたお手紙

 

 50年ほど前、お寺のまわりは全部田んぼで、私は、あぜを少しばかり広げたほどの土の道を歩いて幼稚園へ通っていました。お隣に公務員住宅ができて、道路が舗装をされて、木の根本は、アスファルトで固められてしまいました。

 

 この頃から樹勢は急激に落ちていきます。毛虫が大量発生をした時は、消防車からの放水で退治を行ったこともありました。 お寺のためにと地主様が広げてくださった通路ができて、一気に住宅開発が進み交通量が増え、落葉や落木への苦情など、楠の木にとっては居心地の良くないこともありました。

 

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昭和37年 山門から中里下(馬子町)を眺める

 

 しかし、それ以上に多くの方々がご奉仕で掃き掃除をしていただきました。親しみを持って接し、保護にご協力してくださいます。中里小学校の新聞は「おおぐす」という名称で、そういう物心両面のあたたかいお力に支えられています。

 

 

 平成11年に保存事業で樹勢を回復させました。平成20年、正面の田を地主様のご好意でお譲りくださることとなり、クスノキの保護のため購入し、樹域を守る基礎をつくりました。これは私の代として、もっとも大きな決断でした。これで当分安心できると思っていましたが、とつぜん状況が変わりました。

 

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小学校の授業も行われます

 

  昨年、隣地の公務員住宅が競売となることが決まりました。クスノキは市道を超えて樹域が伸びていますし、春にはどっさりと葉を落とします。台風一過の落木はかなりの量となります。国のアパートとしての土地で、ちょうど家庭菜園などに使われていましたので、トラブルなどはなかったのですが、民有地となるとそうもいきません。財務省と保存のためのエリアを確保するための折衝を重ねましたが、入札参加以外には方法はないとの回答でした。結局、株式会社日進興産様が土地の所有者となり、住宅開発が行われることとなりました。

 

 日進興産様は、楠の木の保護に対して最大のご理解をいただきました。私が思いつく様々なプランを真剣に取り合って頂き、夜遅くまでお話し合いを重ねる日が続きました。そういう間に、佐世保市も保護に向けたお力を寄せていただくようになりました。

 

 東漸寺、日進興産様、佐世保市様の三団体の話し合いで妥協点を見つけ、土地を提供して、ほんの僅かではありますが道路を広げて、迂回するようになりました。  樹木自体の状況についての調査は、佐世保市教育委員会社会教育課に協力をいただきました。長崎大学や樹木医など複数の方々から、巨大台風などの対策のために、木を小さくする必要があるとの指摘を受けました。木を軽くすることで、主幹を守ることが目的です。

 

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内部は空洞化しています(昭和30年)

 

 伸びやかな木、そして霊験あらたかな木の雰囲気を守るために、枝の伐採について私自身が納得をすることに長い時間がかかりました。多くの霊木が倒木していったことを目のあたりにし、もっと守る手段があったはずだという意見を最重要としました。  実際に内部を見ると、幹の空洞化が激しく、多くの部位が腐敗しています。この治療をします。また、長年の道路で固まってしまった土壌を改良が不可欠で、水分の浸透、肥料の注入も容易にできるよう、周辺部のインターロッキングや土舗装などを行います。  

 

 そして、最大の課題が、楠の葉、落木などの争議を回避するために、隣地の確保です。空洞化の状況や今後の樹勢からすると、万が一の時には南西方向へ倒れる可能性があります。  お寺にとってはたいへん大きなできごとです。樹齢500年のクスノキを、次の世代にも、そして1000年先の人々にも親しんでいただけるように、守っていきたいと願っています。

 

 折に触れて、お知らせを行いますね。

 

#ksnk1000prj

花まつり

花まつり法要 4月12日 午前11時から 東漸寺本堂にて

 

 花まつりとは、お釈迦さまのお誕生を祝う行事です。生花で飾りつけをした花御堂のお釈迦さまへ、甘茶をかけておがみます。お釈迦さまがお生まれになったとき、龍王が空から甘露の雨を降らせて、お誕生を祝ったという言い伝えに由来するものです。

 

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 花まつり法要では、お釈迦さまのお誕生にあやかり、本尊さまから赤ちゃんへお念珠をお授けし、身体強健・子育て成就をお祈りするお加持会を行います。どうぞ、赤ちゃんをお連れになりお参り下さい。

 

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 その清らかな無垢の手をはじめて合わせ、ご縁をおつなぎください。

 

(4月8日は佐世保仏教連合会で島瀬公園にて花まつり法要を行いますので、東漸寺では毎年12日に行っています)

からだ ことば こころ

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 お大師さまは、身(からだ)口(ことば)意(こころ)が常に一致していることが、幸せの条件であるといわれました。

 

 美しい月を見上げ、心からきれいだと思い、思わず「月がきれいだね」と言葉が洩れる時は、身体と言葉と心が一致しています。そういう純粋な行いの時には、どんな悩みも悲しみもなく、心が満たされています。

 

 ですが、騒々しい現代の生活では、かなり意識をしないと身口意をそろえることは難しいものです。

 

 きちんと座り、手を合わせ、お経を読むことは仏教の基本のスタイルです。この拝むという姿勢は、からだ ことば こころ を一致させる練習でもあるのです。

 

 深まりゆく秋、心落ち着かせるよい季節です。

野の花に

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 私の叔父は旧制中学校を卒業した後、僧侶となるべく東京石神井にあった智山専門学校へ進みました。この学校は大正大学へ統合。昭和18年、学徒動員で出兵をし、19年春にマニラ沖の輸送船で戦死をしました。戦後、私の父が意思を継ぎ大学へ進み、お寺を守ることとなりました。

 

 明治維新の混乱の中、家を失い6歳で出家をした祖父がたどり着いたのが、破れ寺となっていた東漸寺でした。 平戸藩がなくなりお寺は廃寺で御本尊を守り伝えようと30戸ほど家が集まり御檀家を作り、住職を請い入れました。お寺で生まれた初めての子ども、それが私の叔父ということになります。

 

 荒れた境内で育つ弟妹を率いる叔父は、「きれいなお寺にせんばね」と語りながら、お地蔵さまのまわりに、珍しい花を植えたそうです。東京へ出て行く前のことだったそうです。

 

 それがこのタマスダレ。今年も可憐な花を咲かせています。

 

 私は叔父に会ったことはありませんし、叔父が僧侶になることが出来たならば、私という存在がこの世の中には無かったことでしょう。

 

 この花を通じて、今、こういうお寺となっていますよと、伝えることができるようで有難いです。