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おっくうなお話

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 お写真は除夜の鐘のようすです。寒い中長い時間お待たせしてしまいますが、必ず一回づつ撞いていただきます。さて、長い時間のお話です。

 

 気乗りがしないことをするのは、おっくう(億劫)なことです。「劫」とはサンスクリット語でカルパという時間の単位で、20キロメートル四方の石山を百年に一度天女が舞い降り羽衣でなでて、すり減ってなくなる時間が1劫といわれます。その億の劫なので、たいへんに長い時間です。このことから、とても面倒なことの意味に使われます。

 

 私たちは目の前で結果が出ないと不安になりますが、人は何十年と生きていくものです。劫からすれば、ほんの短い間での善し悪しが、人生の中でどれほどの価値を占めるのか、冷静な判断が必要です。夢は自分がかなわずとも、まじめにさえ取り組めば、次の世代が成し遂げることもあります。未来永劫というと、気おくれしそうですが、あわただしい世の中で、こつこつと時間をかけて物事にあたることは大切です。

 

 長い時間も必ず終りがあります。終わりとは、時間も、自分も、物も、すべてから離れることです。「我」が残ると、終わることはできません。我をなくすからこそ、とらわれから離れた、静かな世界がひろがると仏典は教えます。

 

 「亀の甲より年の劫」、経験を積んだ方への尊敬のことわざです。あなたが尊敬する人は、一生を懸命に生きぬき、我から離れ、いさぎよく、そして安らかに終りを迎えたのではないですか。仏となったその人は、何も言わないことで、拝む私の心を支えてくれるのではないですか。

 

 終わりを考えることが億劫に感じるのはなぜでしょう。それは、我をなくすべきことに、我を持ちこむからです。そして、正解も何もない、ただ結果を受け止めるべきことに、つまり、考えなくて良いことまでも、不安をあおるかたちで考えさせる風潮があるからです。

 

 終わりのことより、生きること。未来を小さくするよりも、今の縁を生かしきることに努めたいものです。