がらんどう

 何もないことを「がらんどう」といいます。伽藍(がらん)とはお寺の本堂などの建物のことです。大きな建物に仏さまのみがある伽藍のようすが、何もないことに転じていったといわれます。


 伽藍の仏さまの前は、結婚式や赤ちゃんの日晴れなどの喜び、厄払いや當病平癒などの願い、正座をしたりお巡りなどの修行をする苦しみ、そして人生最後のお別れの儀式をする悲しみの行事など、その時々に応じ雰囲気が変わります。仏さまは変わることなく静かにおられ、お堂は清らかな空間を保ち続けています。空間とは単に広さだけではなく、時間を経ても変わることがない様子です。そこへ入り彩りを添えるのは、私自身であり一人一人の生き方となります。
 
 本堂からおたましいを分けたものがお家の仏壇です。家の中で唯一の神聖な空間です。そしてそれを守り、鏡として生きていくのが私の心です。たとえば、お供物をあげても減ることはありませんし、仏さまは「ありがとう」とは言ってくれません。でも、たまたま家に来た子どもへ供物のキャラメルをあげることになるかもしれません。心に空間を保つ行いによって、他を思い心を受けとめることができるようになるのです。
 
 子どもの成長を見ていても、大人の目からすれば何もしていないように見える一人の時間を過ごすことにより、様々なことを吸収しています。長い年月が過ぎた後に、子どもの頃の経験が生きていると感じることもあります。無駄を排除して効率を求めることが良いという風潮がありますが、あまりにも短い時間の中で損得を判断すべきではないのです。
 
 伽藍堂に仏さまがいらっしゃるように、私の心にも変わることのない仏さまをおいて、広い空間を保つことができると良いですね。