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厄年

日々おもうこと

 厄年とは、わざわいが多いであろうとされる年齢のことです。仏教の哲学にもとづくものではなく、日本人の長い暮らしの中で、さまざまな思考や習慣などが組みあわさり、言い伝わってきたものです。近年では、厄年の数が増えている暦も多いですし、意味もない語呂合わせや占いごと、はたまた儀式としてどうこなすかが問われ、趣旨から外れつつあるようです。

 人の一生は常ではなく、移り変わりゆくものなのですが、私たちはなかなかその変化を受け入れようとはしません。しわが増え、ひざが痛くなったとしても、まだまだと無理をして、ケガをすることなどよくあるお話です。特に青年期から中年期へ、また老年期へと移行する頃は、体調の変化がはげしく、また社会的にも責任の重圧を感じたり、子育ての面や、夫婦間の関係など悩みが多くなりますし、また、退職をされた方はよりどころを失うなど、古来からの厄といわれる年回りは、肉体的、精神的に不安定な時期を迎えることは事実です。

 そこで、それまでの人生、そしてこれからの生き方を、じっくりと見つめる時間を持つことが、厄の年回りに必要とされるのです。そう考えると、特に厄の年回りだけではなく、新年や節分を迎える時なども同じなのかもしれません。人は節目をつけることにより、再び初め直すことで、救われていく智慧を身に付けてきたのでしょう。

 厄年だから、なにもかもが駄目とか、失敗したのは厄年のためだという考え方で厄を過ごすのではなく、自分の心と身体の整理整頓の時間として、実りのある厄年を過ごしましょう。そのきっかけづくりとして、お祓いを受けることや、お札を頂くこと、親しい方からお祝い事をうけることなどは良いことでしょう。