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穀の縁に遇うがごとし(弘法大師)

 七月初旬、近年の子供の事件を契機として、県教委主催「長崎っ子の心を見つめる」教育週間がありました。お寺にも要請があり、小中学生合同で、本堂で地域の歴史を味わう集いを開き、千三百年の歴史をもつ道である、奥の院までの山道を歩きました。身近な歴史を思いを巡らすことは、命の源を見つめることにつながります。とても暑い日で大変でしたが、子供たちは元気一杯で、その歓声を聞けば、良かったなと思います。

 しかし同時に、少々疑問に感じる部分もあります。週末ごとに、様々な団体が各種行事を行います。子供達をまきこんで、行事を開催すれば安心する大人達。尻をたたかれ、こなしていく子供達。結局は目先の行事に右往左往しているばかりで、その中に、肝心の家族の時間があるのかということです。

 家族で話すべき事は、たくさんあるはずです。家の宝物のこと、親が小さい頃に感じたこと、ニュースを見て、本を読んで、親が感じること。そして、命の源である先祖のこと。イベント的な仲良しごっこだけでは、人のつながりは得られません。スポーツや遊びなど親子共 項での会話は、いわばおかずであり、肝心なのは親の思いを伝えることです。子供の手本となるのは、もっとも身近な大人である、親であり祖父母です。子供を育てるには、まずは、大人が自立をすることが先決であり、さらに、子供の世界を信じることだと考えます。それゆえに、私たちは、「すこし、止まってみる勇気」も必要に思います。静かな環境に家族をおくことで、本当の家族の姿、つながりの状態が見えてくるはずです。

 穀物の種が、土壌、水分、気温、日照などの適合によって芽をふくように、私たちも良い縁に出会うことが大切です。世間では「三つ子の魂百まで」と言われますが、私たちはいくつからでも良い縁に出会えば、心は好転していきます。なぜなら、人は本来「ほとけ」であり、清らかな心をそなえているものです。ひとりひとりが、良い縁をつくっていくことが、なによりも大切です。