あたかも、母が己がひとりの子を 身命を賭しても護るように 一切の生きとし生けるものに対しても 無 の慈しみの心を起こすべし

 仏教の精神は「慈悲」という言葉で表されます。父母の子供に対する愛情にたとえられ、憎しみを蔵する世間的な愛をこえた、純粋の愛です。

 「慈」は草が糸のように萌えいずることをやさしく見守っているという意味が含まれる文字で、子供の成長を見守っている父親の姿にたとえられます。

 「悲」とは鳥の翼を背中合わせにした姿を文字にしたもので、胸の張り裂ける思いを意味します。子供を産み落とし立派に育てていく母親の愛情です。

 大阪の小学校で言葉を失うほど悲惨な出来事が起きてしまいました。この容疑者の父親はこういう事件を起こすと思っていたと平然とインタビューに答えました。法的には無責任ですまされる存在でありながらも、まるで他人事のように幼少時代の資料を提供する様や、さらにそれをあおるマスコミには、容疑者よりもさらに根の深い異常なものを感じざるを得ません。

 誰もが働ける環境を目指して、保育園をさらに多くしていくと選挙演説が行われています。なるほど共働きの生活を支援しなければ、厳しい現実は乗り切れません。ただし、そのような社会構成を続けていって、本当に良いのか疑問に感じます。私たちは命をかけて全責任を持って子供を育てることを、真剣に考える時が来ているように感じます。

 ここ数十年、瞬間的に何かしらの対策を講じて乗り切れた世の中は、すっかり行き詰まっているようです。今私たちに必要なことは、根本的な宗教心に立脚した生活です。一人一人が心の隅で慈悲のこころをあたためていれば、必ず家庭は円満となり、世の中も良くなるでしょう。

 まもなくお盆が来ます。先祖の供養という形を借りて、自分自身に様々なことを問いかけてみる良い機会です。