花まつり

花まつり法要 4月12日 午前11時から 東漸寺本堂にて

 

 花まつりとは、お釈迦さまのお誕生を祝う行事です。生花で飾りつけをした花御堂のお釈迦さまへ、甘茶をかけておがみます。お釈迦さまがお生まれになったとき、龍王が空から甘露の雨を降らせて、お誕生を祝ったという言い伝えに由来するものです。

 

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 花まつり法要では、お釈迦さまのお誕生にあやかり、本尊さまから赤ちゃんへお念珠をお授けし、身体強健・子育て成就をお祈りするお加持会を行います。どうぞ、赤ちゃんをお連れになりお参り下さい。

 

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 その清らかな無垢の手をはじめて合わせ、ご縁をおつなぎください。

 

(4月8日は佐世保仏教連合会で島瀬公園にて花まつり法要を行いますので、東漸寺では毎年12日に行っています)

からだ ことば こころ

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 お大師さまは、身(からだ)口(ことば)意(こころ)が常に一致していることが、幸せの条件であるといわれました。

 

 美しい月を見上げ、心からきれいだと思い、思わず「月がきれいだね」と言葉が洩れる時は、身体と言葉と心が一致しています。そういう純粋な行いの時には、どんな悩みも悲しみもなく、心が満たされています。

 

 ですが、騒々しい現代の生活では、かなり意識をしないと身口意をそろえることは難しいものです。

 

 きちんと座り、手を合わせ、お経を読むことは仏教の基本のスタイルです。この拝むという姿勢は、からだ ことば こころ を一致させる練習でもあるのです。

 

 深まりゆく秋、心落ち着かせるよい季節です。

野の花に

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 私の叔父は旧制中学校を卒業した後、僧侶となるべく東京石神井にあった智山専門学校へ進みました。この学校は大正大学へ統合。昭和18年、学徒動員で出兵をし、19年春にマニラ沖の輸送船で戦死をしました。戦後、私の父が意思を継ぎ大学へ進み、お寺を守ることとなりました。

 

 明治維新の混乱の中、家を失い6歳で出家をした祖父がたどり着いたのが、破れ寺となっていた東漸寺でした。 平戸藩がなくなりお寺は廃寺で御本尊を守り伝えようと30戸ほど家が集まり御檀家を作り、住職を請い入れました。お寺で生まれた初めての子ども、それが私の叔父ということになります。

 

 荒れた境内で育つ弟妹を率いる叔父は、「きれいなお寺にせんばね」と語りながら、お地蔵さまのまわりに、珍しい花を植えたそうです。東京へ出て行く前のことだったそうです。

 

 それがこのタマスダレ。今年も可憐な花を咲かせています。

 

 私は叔父に会ったことはありませんし、叔父が僧侶になることが出来たならば、私という存在がこの世の中には無かったことでしょう。

 

 この花を通じて、今、こういうお寺となっていますよと、伝えることができるようで有難いです。

 

 

 

 

 

不動明王さま

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 アチャラナータというと、どこかのカレー屋さん?とお思いかもしれませんが、不動明王のことです。髪に蓮華を飾り、左に束ねて、胸の上まで垂らして、オシャレさんなんです。

 

 が、私たちが迷っていることに対して、すごく怒っています。信頼があるからこそ怒ることができるのです。ちょうど、子を叱る親のように私たちのことを深く考えて、寄り添ってお世話をしようとされています。ですから、全身は昔の召使の姿をされているといわれます。

 

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  長崎新聞に掲載されましたが、東漸寺の木造不動明王立像が、佐世保市有形文化財に指定をされました。素朴で愛らしい仏さまです。光背と岩座はクスノキで、仏体はとても重い堅木、今の段階ではおそらく松ではないかと推測されています。

 

 松の木は、玄海を望む地域で神木として伐採を禁じられるなど、大切にされてきた例が多いです。もちろん、防風の役目も強いのでしょう。松浦家が門松にシイノキを使う理由もしかりです。松の木で仏像を作ったという例はほとんどありません。一木造りですので、そもそも始めに大切な木があって、そこから不動明王を造り顕したと考えてもよいのではと、学芸員の先生からお聞きをしました。

 

 火炎光背と仏体背面に、永正9年(1512年)福石山青巌寺の住持(住職)阿闍梨 重慶 から、相神浦東漸寺住持 重深 へと寄進をされた旨の銘が墨書されています。

 

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 永正9年は、宗家松浦氏宗金親公が元服をした年で、相神浦の奪回に動き始めたとされる頃です。親公が生まれた明応3年(1493年)に、東漸寺は教意法印により再興されたと伝えられております。宗家松浦氏盛公は武辺城を築く頃に、東漸寺の秘仏である統一新羅時代如来像を安置し、御本尊薬師如来を祀りました。盛公の墓である宝篋印塔は応仁元年(1467年)東漸寺に建立され今に至ります。さまざまな縁がつながり、この不動明王も残ってきたのですね。

 

 本来は剣を持つ右手が欠損をし、銘が残る火炎光背が風化して砕けはじめており、折を見て修理をしなければなりません。

 

 詳しい調査と修理で、中世の歴史を語るうえでのお役に立てばと思いますし、なにより、500年の年月を超えて拝まれきた仏さまを、多くの皆さまにより親しんでいただけますようなお寺であり続けますよう、精進をしてまいります。

 

 

 

夏休みがおわりますね

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 夏休み最後の日曜日のご法事。お家に着くと、小学5年生のお姉さん、3年生の長男坊主、1年生の末っ子の三兄弟が待っていてくれました。ちょっと離れたところに住んでいるので、久しぶりに会うと、それぞれの成長がまぶしいです。

 

 今日はこの子たちのお祖父様の7回忌。ご親戚は遠いので、ご家族だけのご法事です。お経の本をお配りして、一緒に読んでいただきます。ふりがなも付いているし、とてもゆっくり読みますので、子どもたちも般若心経を読破していきます。

 

 お祖母様が準備をされているお斎(お食事)を、お嬢さんはお手伝いをしながら、長男坊主は妹にちょっかいを出し、お父様に「ほら、ふざけないっ」と、怒られながらと、ご家族みんなで食卓に並べて、いただきました。

 

 みんながお腹いっぱいになるとお祖父ちゃまがものすごい喜ぶんだってというと、長男坊主はにわかにピッチを上げます。お祖父様から抱っこされていたことを覚えているという話を聞いたり、人参のお煮しめ食べてえらいなぁ、あんま口に入れすぎやろ、だとか、にぎやかに時間が過ぎ、お腹もいっぱいになりました。

 

 帰りしな、末のお嬢様が「この桃食べたいっ!」と叫んでいるのにお構いなく、お祖母様がお供えの果物をお寺へ持たせようと分けられました。仕方がありませんでしたので、お嬢さんに今度お寺へいらっしゃいねとお約束をして、さよならをしました。

 

 故郷として大切な物を守り伝えている祖父母の役割は大変重要です。 略をしすぎたり、業者任せではない温かい行事でありたいと願っています。お寺でも夏休みイベントのようなことも行いはしますが、やはりこのような普段の暮らしを最も大切にしており、お寺としても最善を尽くしていることです。

 

 

 

施餓鬼会 せがきえ

平成28年8月8日(月曜日) 午前11時より

お盆をお迎えする始まりとして、施餓鬼会をおこないます。

 

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 先祖も私も帰省する家族も、かわいい犬も、いただいてしまった牛も魚も野菜も、大切にしているオオクワガタも、たたきでつぶしたハエも、すべてはいのちあるものであり、これを三界万霊といいますが、すべてのおたましいを等しく供養する法要です。

 

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 有縁無縁一切精霊という表現をします。自分に無縁であったとしても、別け隔てなく供養をするこころです。自分とか他人とか、多いとか少ないとか、有るとか無いとか言って眉間にしわ寄せてる間に、人生どんどん過ぎていってしまいますよ。

 

 そして、今考えていることも、10年経つと年老いていきますから、また違うことを考えている自分がいます。まわりの人もそれぞれ年をとって、生活も変わっているでしょう。

 

 亡くなったあとに、こうして欲しいとか、ああして欲しいとか、そんなに大事なことでしょうか。だって亡くなってしまっている自分のことですよ。あとの方が一番納得行く形ができれば良いのではと感じます。

 

 供養は死者が自ら行うものではなく、生きている人が、自身のこころを養い、生きる希望を保つための行事です。

 

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 わかりもしない未来のことを考える暇があれば、自分が生きている時に、なすべきことをしっかり見つめるべきです。

 

 そのあげくに死を迎えたとするならば、必ずこころから供養を捧げる人が続いていきます。

 

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 生きる私たちが供養のこころを持つことは大切です。ことのほか暑い夏、きついならきついなりに、余裕があるならこころをこめて、精一杯楽しんで供養をしていきましょう。

 

 素敵なお盆をお過ごしください。

 

お盆をおむかえします

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今年もお盆が来ます。


 大きな行事をひかえ、ひとりコツコツと準備をします。
毎年の決まったことをする時、たとえば施餓鬼棚を組む時、五如来の旗をつくる時、そういうふとした瞬間に、父はもういないのだなと、つくづく感じます。


 忙しい早くしないとと、もうこれくらいでいいかと思う時もあります。ふと、父の丁寧さを思い出し、あと一時間、余計に仕事をするうちに、懐かしい思い出が湧き、とても良い時間を過ごせます。紙を雑に切ってしまった時に、私は次の世代の者に、なにを残すことになるのだろうかと不安になり、新たな紙を出しながら、今しなければならないことを省みる時間を過ごせます。


 お盆は、ご先祖がお帰りなると云われます。過去の出来事と、今現在のこと、そして将来の様子が入り混じる季節。今を生きる私のための、大切な時間としていただければと思います。