不動明王さま

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 アチャラナータというと、どこかのカレー屋さん?とお思いかもしれませんが、不動明王のことです。髪に蓮華を飾り、左に束ねて、胸の上まで垂らして、オシャレさんなんです。

 

 が、私たちが迷っていることに対して、すごく怒っています。信頼があるからこそ怒ることができるのです。ちょうど、子を叱る親のように私たちのことを深く考えて、寄り添ってお世話をしようとされています。ですから、全身は昔の召使の姿をされているといわれます。

 

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  長崎新聞に掲載されましたが、東漸寺の木造不動明王立像が、佐世保市有形文化財に指定をされました。素朴で愛らしい仏さまです。光背と岩座はクスノキで、仏体はとても重い堅木、今の段階ではおそらく松ではないかと推測されています。

 

 松の木は、玄海を望む地域で神木として伐採を禁じられるなど、大切にされてきた例が多いです。もちろん、防風の役目も強いのでしょう。松浦家が門松にシイノキを使う理由もしかりです。松の木で仏像を作ったという例はほとんどありません。一木造りですので、そもそも始めに大切な木があって、そこから不動明王を造り顕したと考えてもよいのではと、学芸員の先生からお聞きをしました。

 

 火炎光背と仏体背面に、永正9年(1512年)福石山青巌寺の住持(住職)阿闍梨 重慶 から、相神浦東漸寺住持 重深 へと寄進をされた旨の銘が墨書されています。

 

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 永正9年は、宗家松浦氏宗金親公が元服をした年で、相神浦の奪回に動き始めたとされる頃です。親公が生まれた明応3年(1493年)に、東漸寺は教意法印により再興されたと伝えられております。宗家松浦氏盛公は武辺城を築く頃に、東漸寺の秘仏である統一新羅時代如来像を安置し、御本尊薬師如来を祀りました。盛公の墓である宝篋印塔は応仁元年(1467年)東漸寺に建立され今に至ります。さまざまな縁がつながり、この不動明王も残ってきたのですね。

 

 本来は剣を持つ右手が欠損をし、銘が残る火炎光背が風化して砕けはじめており、折を見て修理をしなければなりません。

 

 詳しい調査と修理で、中世の歴史を語るうえでのお役に立てばと思いますし、なにより、500年の年月を超えて拝まれきた仏さまを、多くの皆さまにより親しんでいただけますようなお寺であり続けますよう、精進をしてまいります。

 

 

 

夏休みがおわりますね

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 夏休み最後の日曜日のご法事。お家に着くと、小学5年生のお姉さん、3年生の長男坊主、1年生の末っ子の三兄弟が待っていてくれました。ちょっと離れたところに住んでいるので、久しぶりに会うと、それぞれの成長がまぶしいです。

 

 今日はこの子たちのお祖父様の7回忌。ご親戚は遠いので、ご家族だけのご法事です。お経の本をお配りして、一緒に読んでいただきます。ふりがなも付いているし、とてもゆっくり読みますので、子どもたちも般若心経を読破していきます。

 

 お祖母様が準備をされているお斎(お食事)を、お嬢さんはお手伝いをしながら、長男坊主は妹にちょっかいを出し、お父様に「ほら、ふざけないっ」と、怒られながらと、ご家族みんなで食卓に並べて、いただきました。

 

 みんながお腹いっぱいになるとお祖父ちゃまがものすごい喜ぶんだってというと、長男坊主はにわかにピッチを上げます。お祖父様から抱っこされていたことを覚えているという話を聞いたり、人参のお煮しめ食べてえらいなぁ、あんま口に入れすぎやろ、だとか、にぎやかに時間が過ぎ、お腹もいっぱいになりました。

 

 帰りしな、末のお嬢様が「この桃食べたいっ!」と叫んでいるのにお構いなく、お祖母様がお供えの果物をお寺へ持たせようと分けられました。仕方がありませんでしたので、お嬢さんに今度お寺へいらっしゃいねとお約束をして、さよならをしました。

 

 故郷として大切な物を守り伝えている祖父母の役割は大変重要です。 略をしすぎたり、業者任せではない温かい行事でありたいと願っています。お寺でも夏休みイベントのようなことも行いはしますが、やはりこのような普段の暮らしを最も大切にしており、お寺としても最善を尽くしていることです。

 

 

 

施餓鬼会 せがきえ

平成28年8月8日(月曜日) 午前11時より

お盆をお迎えする始まりとして、施餓鬼会をおこないます。

 

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 先祖も私も帰省する家族も、かわいい犬も、いただいてしまった牛も魚も野菜も、大切にしているオオクワガタも、たたきでつぶしたハエも、すべてはいのちあるものであり、これを三界万霊といいますが、すべてのおたましいを等しく供養する法要です。

 

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 有縁無縁一切精霊という表現をします。自分に無縁であったとしても、別け隔てなく供養をするこころです。自分とか他人とか、多いとか少ないとか、有るとか無いとか言って眉間にしわ寄せてる間に、人生どんどん過ぎていってしまいますよ。

 

 そして、今考えていることも、10年経つと年老いていきますから、また違うことを考えている自分がいます。まわりの人もそれぞれ年をとって、生活も変わっているでしょう。

 

 亡くなったあとに、こうして欲しいとか、ああして欲しいとか、そんなに大事なことでしょうか。だって亡くなってしまっている自分のことですよ。あとの方が一番納得行く形ができれば良いのではと感じます。

 

 供養は死者が自ら行うものではなく、生きている人が、自身のこころを養い、生きる希望を保つための行事です。

 

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 わかりもしない未来のことを考える暇があれば、自分が生きている時に、なすべきことをしっかり見つめるべきです。

 

 そのあげくに死を迎えたとするならば、必ずこころから供養を捧げる人が続いていきます。

 

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 生きる私たちが供養のこころを持つことは大切です。ことのほか暑い夏、きついならきついなりに、余裕があるならこころをこめて、精一杯楽しんで供養をしていきましょう。

 

 素敵なお盆をお過ごしください。

 

お盆をおむかえします

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今年もお盆が来ます。


 大きな行事をひかえ、ひとりコツコツと準備をします。
毎年の決まったことをする時、たとえば施餓鬼棚を組む時、五如来の旗をつくる時、そういうふとした瞬間に、父はもういないのだなと、つくづく感じます。


 忙しい早くしないとと、もうこれくらいでいいかと思う時もあります。ふと、父の丁寧さを思い出し、あと一時間、余計に仕事をするうちに、懐かしい思い出が湧き、とても良い時間を過ごせます。紙を雑に切ってしまった時に、私は次の世代の者に、なにを残すことになるのだろうかと不安になり、新たな紙を出しながら、今しなければならないことを省みる時間を過ごせます。


 お盆は、ご先祖がお帰りなると云われます。過去の出来事と、今現在のこと、そして将来の様子が入り混じる季節。今を生きる私のための、大切な時間としていただければと思います。

みろくぼさつ

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 弥勒菩薩は、お釈迦さまの教えがとどかなくなる頃に、人々を救うといわれる仏さまです。サンスクリット語ではマイトレーヤで、これは「慈しみ」を語源としています。あらゆる人々の幸せを望む心がその本体であり、実践するためにずっと修行をされているのです。思索にふけるそのお姿。人が喜ぶことを行うには、必ず人知れずの努力があるものです。

 

 弥勒菩薩のようにありたいと願う心、また、弥勒菩薩の救いが目の当たりにあることを望む心。いずれの心も、心地良い世界でありたいとの願いを求めるもので、人としては当然の願いとなります。

 

 人生すべてを理想的に何の間違いもなく生きていくことはありません。考えてみれば、私自身も矛盾しながら、それでも生きています。良いことが自分で、悪しきことは外のせいではなく、どちらの姿も、本当の自分であることを認めることが肝心です。

 

 人生は理詰めでは生きることはできません。ましてや、他の人のある瞬間を捉えて善悪を判断することは愚かなことです。他の人から学ぶことはあっても、批判することで自身が幸せになることはありません。

 

 生きていく中で、考えられないことにもぶつかります。そういうつもりではなかったということも起こります。迷うからこそ、深く思索することは大切です。誰もが弥勒菩薩のような瞬間があり、その時は、神々しいほどの美しさにあふれます。

 

 人生では、それでもわからないこと、もう追いかけないほうが良いこともあるようです。そんな時は、仏さまのおかげですと済ませてしまう勇気も大切ですね。

 

お砂踏法要を行いました

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8日は奥の院岩問山へ登りました。

とても良いお天気で、いざ出発です。

 

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岩問山は、行基菩薩が開かれたと伝えられる霊山です。

尾根伝いに千年を超える古道を歩きます。

 

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御本尊薬師如来は石仏です。明治43年にお堂が全壊となる大崩落がありましたが、お堂から道に飛び出してお座りになっており、無事でおられたと伝えれています。

 

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旧お堂の跡地にお参りをしました。地震のあとでしたので、少々怖くなり、退散を致しました。

 

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5月8日は、お砂踏法要の日です。

般若心経を謹写をし、境内にあります石仏の霊場を巡ります。

 

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新緑のお寺行事、毎年5月8日に行っておりますので、どうぞご参加下さい。

 

 

 

 

 

 

 

ご報告

厳寒で枯れてしまったかと心配していましたインド菩提樹が芽吹きました。

 

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さて、熊本地震災害義援金をご報告いたします。


期  間 平成28年4月17日から5月5日まで
場  所 東漸寺本堂内 義援金
募金合計 49,789円


ご協力をいただきまして、誠にありがとうございました。
以上の通り、みなさまからお預かりいたしました募金に、東漸寺からの義援金を合算した合計8万円を、日本赤十字社熊本県支部へ送金いたしました。


ただただ、安楽な日が訪れますことを、お祈り申し上げます。