お盆をおむかえします

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今年もお盆が来ます。


 大きな行事をひかえ、ひとりコツコツと準備をします。
毎年の決まったことをする時、たとえば施餓鬼棚を組む時、五如来の旗をつくる時、そういうふとした瞬間に、父はもういないのだなと、つくづく感じます。


 忙しい早くしないとと、もうこれくらいでいいかと思う時もあります。ふと、父の丁寧さを思い出し、あと一時間、余計に仕事をするうちに、懐かしい思い出が湧き、とても良い時間を過ごせます。紙を雑に切ってしまった時に、私は次の世代の者に、なにを残すことになるのだろうかと不安になり、新たな紙を出しながら、今しなければならないことを省みる時間を過ごせます。


 お盆は、ご先祖がお帰りなると云われます。過去の出来事と、今現在のこと、そして将来の様子が入り混じる季節。今を生きる私のための、大切な時間としていただければと思います。

みろくぼさつ

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 弥勒菩薩は、お釈迦さまの教えがとどかなくなる頃に、人々を救うといわれる仏さまです。サンスクリット語ではマイトレーヤで、これは「慈しみ」を語源としています。あらゆる人々の幸せを望む心がその本体であり、実践するためにずっと修行をされているのです。思索にふけるそのお姿。人が喜ぶことを行うには、必ず人知れずの努力があるものです。

 

 弥勒菩薩のようにありたいと願う心、また、弥勒菩薩の救いが目の当たりにあることを望む心。いずれの心も、心地良い世界でありたいとの願いを求めるもので、人としては当然の願いとなります。

 

 人生すべてを理想的に何の間違いもなく生きていくことはありません。考えてみれば、私自身も矛盾しながら、それでも生きています。良いことが自分で、悪しきことは外のせいではなく、どちらの姿も、本当の自分であることを認めることが肝心です。

 

 人生は理詰めでは生きることはできません。ましてや、他の人のある瞬間を捉えて善悪を判断することは愚かなことです。他の人から学ぶことはあっても、批判することで自身が幸せになることはありません。

 

 生きていく中で、考えられないことにもぶつかります。そういうつもりではなかったということも起こります。迷うからこそ、深く思索することは大切です。誰もが弥勒菩薩のような瞬間があり、その時は、神々しいほどの美しさにあふれます。

 

 人生では、それでもわからないこと、もう追いかけないほうが良いこともあるようです。そんな時は、仏さまのおかげですと済ませてしまう勇気も大切ですね。

 

お砂踏法要を行いました

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8日は奥の院岩問山へ登りました。

とても良いお天気で、いざ出発です。

 

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岩問山は、行基菩薩が開かれたと伝えられる霊山です。

尾根伝いに千年を超える古道を歩きます。

 

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御本尊薬師如来は石仏です。明治43年にお堂が全壊となる大崩落がありましたが、お堂から道に飛び出してお座りになっており、無事でおられたと伝えれています。

 

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旧お堂の跡地にお参りをしました。地震のあとでしたので、少々怖くなり、退散を致しました。

 

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5月8日は、お砂踏法要の日です。

般若心経を謹写をし、境内にあります石仏の霊場を巡ります。

 

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新緑のお寺行事、毎年5月8日に行っておりますので、どうぞご参加下さい。

 

 

 

 

 

 

 

ご報告

厳寒で枯れてしまったかと心配していましたインド菩提樹が芽吹きました。

 

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さて、熊本地震災害義援金をご報告いたします。


期  間 平成28年4月17日から5月5日まで
場  所 東漸寺本堂内 義援金
募金合計 49,789円


ご協力をいただきまして、誠にありがとうございました。
以上の通り、みなさまからお預かりいたしました募金に、東漸寺からの義援金を合算した合計8万円を、日本赤十字社熊本県支部へ送金いたしました。


ただただ、安楽な日が訪れますことを、お祈り申し上げます。

春のお彼岸法要

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3月17日(木) 午前11時

 

 身を整えるには、お風呂に入り、髪をとかしお洒落をしますが、心を整える方法は何でしょう。ストレス解消だと趣味を広げても、上手にできなかったり、人間関係でつまずくこともありますね。

 

 人生の苦しみや悲しみに、塵が積もるように心がくもり、生きる力を見失うことがあります。ですが、自性清浄といって、生まれ持った心はだれでも光輝くものでり、仏さまにお祈りを重ねることで、本来持っている心を回復しようと仏典は説きます。

 

 そう、やっぱり自分を信じましょう。そして、信じられる自分であり続けるように尽くしましょう。

 

 お彼岸は、身近なご先祖へのお祈りという善い行いをとおして、生きる私の心を整える行事です。お寺でお経をおあげします。心の垢を取り除く一助となればと思います。 

 

 彼岸法要には水子のご供養もならびにとりおこないます。

 

節分 星まつり祈祷会

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平成28年2月3日(水) 午前10時 午後2時 午後7時 東漸寺本堂にて

 

 天地万物のもとで私たちは暮らしています。星まつりとは、おまじないではなく、めぐりきたる星のもとで生かされている自分自身を見つめ、立春をむかえる節目にあたり、一年のしあわせを祈り、善い日々とする誓いをたてる行事です。一年に一度の星供御札を旗印といたしましょう。

 

 当山では、ご本尊薬師如来さま、愛宕勝軍地蔵菩薩さまのご宝前において、星まつり護摩供を厳修します。ご本尊さまのもとで一年間のもろもろの願いがかなうことを祈願いたします。お名前・今年の御歳を書き込んだお札をお授け致します。

 

 法要がおわった後には、たくさんの方々から御奉納頂いた、豆まき・餅まき行事も行います。

 

 古来からの行事のひとときを、皆さん一緒につくり楽しみましょう。

薬師如来

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 平らかなる一年でありますことを、ご本尊さまの前でお祈りをしております。東漸寺の御本尊、薬師如来は、七百年昔に造られて以来、この地をお守りする仏さまとして伝えられています。平成の大修理が終わり、初めてのお正月を迎えました。

 

 薬師如来は、病を治す仏さまとして、インドで2世紀頃にあらわれ、チベットや中国を経て、聖徳太子の頃に日本へ伝わりました。大陸からの文化の伝来は、同時に伝染病も広まります。インフルエンザや麻疹など、いくどとなく大流行をしたといわれます。ワクチンが発達する明治までは、人々は恐れながら命をつないできます。ですから、祈りの道場として薬師如来をおまつりすることは、欠かせないものだったのです。

 

 京の都の鬼門に比叡山延暦寺があり、江戸では上野の森に寛永寺があり、ご本尊として薬師如来がおまつりされています。規模はまったく違いますが、この地方の中心だった武辺城の鬼門に東漸寺がおかれています。松浦家の本家である城主のもとで、命をかけたお祈りが続いていたのでしょう。

 

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 薬師如来の姿は、右手は施無畏印といって、相手に恐れなくていいですよと、相手をはげましている姿。左手は与願印といい、お薬が入った壺を持ち、病を治してあげますよと、いう姿をしておられます。

 

 薬師経というお経には、薬師如来の願いが書かれているのですが、その第一に瑠璃の光によりすべての物事を照らし、無明を取りはらうとあります。

 

 瑠璃光とは夜明けの青い空の色です。朝日が出てくる東に薬師如来の里があるのだそうです。お寺の名前に東が入っていれば、薬師如来を祀ってあるはずです。ちなみに西は阿弥陀さまのお浄土なので、西が付くお寺はたくさんありますね。

 

 無明とは迷いのことです。明かりがない世界は、そこに何があるかがわからない世界です。さらにはそこに無いものまでもが、有るかのように感じるのが闇の世界です。  闇は存在が変化しているわけではなく、ただ光が差しこんでいないという状態です。私たちが感じる「苦しみ」も同じように、実態があるものではなく、迷いを起こしていることなのです。ですから、自らの心を明るく照らさなければならない。それが、智慧と呼ばれるものです。

 

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 拝めば病が治るのか、これは正しくもあり間違いでもあります。おはらいをしたり御札をいただくことは、不安な心に光がさすことを願うことを形にした行為です。苦しみを一人で背負うのではなく、仏さまが聞いてくださる。また、自分の大切な人と共有することができる。それがはげましとなり、生きていく力がみなぎり、病という苦しみが取り除かれていくのです。病が治ると考えてしまうと、拝んでも治らないという不安がつきまとってしまい、時には怒りを生むことになりかねません。

 

 願いを祈ることは、魔法を期待することではなく、冷静に今自分がどういう状態なのかと判断をする行為なのです。心が闇に包まれそうな時は、自分をしっかりと見つめ、今、何を成すべきなのかを考えなくてはなりません。病が起きることは、避けることができません。一病息災という言葉があるように、そのお付き合いのしかたによっては、延命につながることもあります。また、家族が支え合うきっかけとなることもあります。祈りとは、苦しみを和らげるための、仏さまからの応援です。

 

 ですが、難しいお話ではなく、お薬師さまのお顔を拝んでいるだけでも、幸せな気持ちになりますよ。迷いを起こすとうつ向いてしまい、夜にあれこれと考えごとをしてしまいます。そういう時はお薬師さまの東から出る朝日をながめ、新しい朝が来ることを感じましょう。そして、お寺で古くから伝わるお薬師さまの優しいお顔を拝んでいただければと思います。

 

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 楽しきかな 一 (いつ)も事(こと)無きは。という言葉があります。一つも悲しむようなことがないのは、何とも楽しいものです。悲しみ苦しみを見つめすぎずに、お互いを認め合い、溶け合っていくような心で生きていきたいものです。